衆議院議員活動
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1996年、横浜市議を任期途中で辞職。同年10月の第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で神奈川1区から立候補し、民主党公認の佐藤謙一郎らを破り初当選(佐藤は比例復活)。当初は自由民主党の派閥・宏池会属した。 1999年11月16日第146国会衆議院内閣委員会において、「動物の保護及び管理に関する法律の一部を改正する法律案」に対して共同で決議案を提出し、その趣旨説明を行った。 1999年12月7日第146国会衆議院内閣委員会において、動物の保護及び管理に関する法律の一部を改正する法律案の一部を改正する法律案の提出に伴う決議を行うべきという立場で動議を提出し、その主旨説明を行った。 2000年4月21日第147国会衆議院決算行政監視委員会第二分科会において、質の高い医療提供をすると共に安定して継続をした国民皆保険制度を堅持する立場から質疑した。 2000年の第42回衆議院議員総選挙では、神奈川1区で前回下した佐藤に敗れ、比例復活もならず落選した。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では神奈川1区で佐藤を破り、国政へ復帰。同年11月、第2次小泉内閣で総務大臣政務官(地方自治全般と情報通信関係)に就任。2004年9月、第2次小泉改造内閣で総務大臣政務官(地方自治の本旨の実現及び民主政治の確立、消防を通じた国民保護など担当)として留任し、第3次小泉内閣まで務める。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で3選。同年11月、自由民主党国会対策副委員長に就任。 2006年の安倍晋三総裁の下で自由民主党副幹事長に就任。 2006年1月31日第164国会本会議において、与党提出法案「国会議員互助年金法を廃止する法律案」について賛成の立場から討論を行った。 2008年、麻生内閣で当選3回ながら内閣官房副長官に任命された。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川1区で民主党新人の中林美恵子に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し4選。同年、自由民主党副幹事長に就任。 2010年4月14日第174国会衆議院厚生労働委員会において、民主党政権が掲げる後期高齢者保険制度に国庫負担増額することなく充分な議論もなしに財源をサラリーマンが加入する健康保険連合会から聴取する法案に対し、保険料増額によるサラリーマンの生活困窮回避、国民皆保険堅持の立場から反対する質疑を行った。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では中林に5万票強の差で当選した。同年12月27日、衆議院厚生労働委員長に就任。 2014年の第47回衆議院議員総選挙で6選。 2015年7月16日第189国会本会議において、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」に対して賛成の立場から討論を行った。 2016年5月31日190国会本会議において、「安倍内閣不信任決議案」に対して反対の立場から討論を行った。 2016年8月3日に発表された第3次安倍第2次改造内閣において初入閣。国家公安委員会委員長兼海洋政策・領土問題担当、国土強靱化担当、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、防災)に任命された。 2017年4月、総合海洋政策本部が内閣府へ移行したのに伴い、内閣府特命担当大臣(海洋政策)に就任。8月3日、内閣改造に伴い国務大臣を退任。その後の第48回衆議院議員総選挙で7選。 2017年8月、自由民主党国会対策委員長代理に就任。 2021年1月29日、同年1月に新型コロナウィルス感染拡大を受けた緊急事態宣言下で、深夜まで銀座のクラブを訪れていたことを理由として自民党国会対策委員長代理を辞任。2月1日には自民党を離党した。この件により、同席していた田野瀬太道、大塚高司らとともにマスコミにて「銀座3兄弟」と名付けられた。7月1日、県連幹部は「除名の次に重い離党勧告を受けた人。二度と戻ることはない」と述べた。「松本純後援会」は松本とともに横浜市で会合を開き、「政権与党の自民に所属することが望ましい。松本純および後援会は復党を働き掛ける」とする決議文を作成。7月2日、決議文を党県連に提出した。県連幹部は東京新聞の取材に「復党願と受け止めているが、検討に値しない」と述べた。 10月31日、第49回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、麻生太郎副総裁や安倍晋三元首相らが応援に駆け付けたが、立憲民主党の篠原豪に敗れ、落選した。11月4日、自由民主党に復党申請を提出し、同月16日付で復党が許可された。しかし党神奈川県連は猛反発し、党本部に抗議状を提出した。これを受けて、党本部の茂木敏充幹事長は、党本部が党神奈川県連の意向を考慮せずに復党手続きを一方的に進めたことを陳謝し、松本の復党を白紙に戻すとした。 その後、松本が地元の有権者の署名を集めるなど、県連側の理解を求める取り組みを続けたことを受け、2022年1月28日に党神奈川県連は松本の復党を認め、正式に自由民主党に復党した。2月1日、党副総裁の麻生太郎から副総裁特別補佐に任命されたと明らかにした。2月3日、議員時代に所属していた麻生派に特別会員として復帰した。
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