藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れの意味・解説 

藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:16 UTC 版)

木村健悟」の記事における「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」の解説

発端は、1986年10月9日開催されたINOKI闘魂LIVE公開スパーリング10月6日)に遡るランス・フォン・エリックとの対戦予定されていた武藤敬司凱旋帰国日程遅れたことによるカード変更受けて木村藤波への挑戦表明したが、9月23日IWGPタッグ王座二人で奪回したばかりであり、時期尚早藤波対戦拒否した。 翌シリーズでも木村対戦執拗にアピール前田日明闘魂LIVE異種格闘技戦でのダメージからシリーズ全試合欠場となり、11月3日予定されていたIWGPタッグ防衛戦藤波木村vs前田藤原喜明戦)が流れたことから、藤波対戦受諾した。しかし、10月27日奈良大会で藤波コンガ・ザ・バーバリアンジャーマン仕掛けた際に負傷奥歯抜け手術して元に戻した)して欠場したため、対戦がまた実現せず11月3日代替カードアントニオ猪木ケビン・フォン・エリックvs木村武藤)。 次の'86ジャパン・カップ争奪タッグリーグでは藤波武藤と、木村ジョージ高野タッグ組んでエントリーしたが、共に決勝には進めず、12月10日大阪城ホール急遽シングルマッチ組まれたが、木村淡白な内容藤波回転エビ固め敗れた。 翌1987年新日本新春シリーズ「ニューイヤー・ダッシュ」開幕戦後楽園ホール大会1月2日)において木村アピール藤波vs木村戦が組まれた。木村試合前に正々堂々戦って勝つ」、そして、選手紹介前に田中リングアナからマイク取り上げ、「この試合負けたら俺は海外に行くから! お前もそのぐらいの気持ち来い!」とコメントした。(この試合レフェリーミスター高橋試合は、ゴング前のボクシング・パンチの奇襲攻撃から始まったその後気合こもったストンピングなどのラフ攻撃中心としたスタイル藤波追い詰めた。これは前述大阪城ホールでの試合あまりにも淡白な内容終始してまった自らの試合運び対す苛立ち払拭するのような戦い方であった。そんな意気込みは、ファンの間で幻の必殺技と言われていた変形サソリ固めである「足あやとり殺法トライアングル・スコーピオン久々に見せたことにも現れている。試合終盤、レッグサポーターに「スパナといわれる凶器入れた稲妻レッグ・ラリアット敢行フォール勝ちを奪うも、反則行為発覚してノーコンテストとなった木村試合後に「勝つためには手段を選ばない」とコメントした。なお、この試合1月5日に「ワールドプロレスリング」にて録画中継された。 翌1月3日再戦が即マッチメイクされたが、藤波暴走して反則負けとなる。これを不服とした藤波から再戦申し入れ出たことを受け、1月14日後楽園ホールワンマッチ興行開催運びとなったワンマッチ興行に際しては、1月14日興行自体組まれていなかったため、再戦直後急遽後楽園ホール押さえた他、開催2日前である1月12日放送の「ワールドプロレスリング」にて告知なされた当日チケット2000円均一当日券のみとし、2200人の超満員札止めとなった試合前半より中盤木村攻勢目立ったが、先日試合見せたトライアングル・スコーピオン封じられたり、この遺恨ポイントのひとつであったボクシングパンチもあまり出さなかったためか、徐々に試合巧者である藤波主導権奪われていった結局終盤勝負賭けた稲妻藤波空中キャッチされ、サソリ固め逆エビ固めバックドロップ→片逆エビ固め、の波状攻撃最後無念ギブアップ今度藤波勝利し遺恨決着がついた。この試合レフェリー上田馬之助務めた。なお、この試合1月19日TVマッチとして録画中継されたが、急遽組まれたために、既にタレント活動もしていた古舘伊知郎都合がつかず、映像後で実況被せ手法取られた。これは音声では解説をしているはずの山本小鉄が、リングサイド立ち働く姿が映像何度も出てくるところから判明した両者試合運び注目すべきは、当日「完全決着戦」の色合い濃かったため、リング中央のスプリングはずされ両者はわざと急角度ボディスラム敢行したり、意識的にグラウンドでの攻防を魅せたりと、試合前半は非常に原始的オーソドックスな展開となった木村ロープワーク流れカウンターでの絶妙な稲妻見せたりした。前述通りこの試合上田馬之助レフェリー買って出たが、木村試合中再三上田ボクシングパンチ制止されたりプロレスリングでは拳でのパンチ反則)、前回試合でかなりダメージ与えた攻撃パターン封じられたこと、上田レフェリング若干スローモー木村攻勢してカバー入ってもすぐにカウントが始まらなかった点も敗因として挙げられるちなみに木村必殺技である稲妻空中キャッチされたのは、この試合初めであった序盤〜中盤木村攻勢続いていたが、藤波絶妙なムーブで切り返されたのはまさにこの試合のハイライトシーンであり、木村負け決定づけるシーンとなったといえるだろう。 木村は、普段地方会場はもちろんのこと大会場での試合においてであっても自らの持ち技以外めったに大技言い方変えれば観客アッと言わせる決め技)を使わないが、この日は、トップロープ上に駆け上がった藤波に対して(つまり上空向かって稲妻敢行するなど、非常に積極的な動き目立っていた。 木村藤波対す執念は相当なものであり、毎年初詣で高級車を買う、家を買う、藤波に勝つ」と3つの祈願絵馬奉納をしていた。しかし初め2つの願い叶ったが、藤波に勝つ願い遂に叶わなかった。

※この「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」の解説は、「木村健悟」の解説の一部です。
「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」を含む「木村健悟」の記事については、「木村健悟」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」の関連用語

1
12% |||||

藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの木村健悟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS