藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ
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「木村健悟」の記事における「藤波との抗争から伝説のワンマッチ興行への流れ」の解説
発端は、1986年10月9日に開催されたINOKI闘魂LIVEの公開スパーリング(10月6日)に遡る。ランス・フォン・エリックとの対戦を予定されていた武藤敬司の凱旋帰国日程が遅れたことによるカード変更を受けて、木村が藤波への挑戦を表明したが、9月23日にIWGPタッグ王座を二人で奪回したばかりであり、時期尚早と藤波が対戦を拒否した。 翌シリーズでも木村は対戦を執拗にアピール。前田日明が闘魂LIVEの異種格闘技戦でのダメージからシリーズを全試合欠場となり、11月3日に予定されていたIWGPタッグ防衛戦(藤波&木村vs前田&藤原喜明戦)が流れたことから、藤波も対戦を受諾した。しかし、10月27日の奈良大会で、藤波がコンガ・ザ・バーバリアンにジャーマンを仕掛けた際に負傷(奥歯が抜け、手術して元に戻した)して欠場したため、対戦がまた実現せず(11月3日の代替カードはアントニオ猪木&ケビン・フォン・エリックvs木村&武藤)。 次の'86ジャパン・カップ争奪タッグリーグでは藤波は武藤と、木村はジョージ高野とタッグを組んでエントリーしたが、共に決勝には進めず、12月10日の大阪城ホールで急遽シングルマッチが組まれたが、木村は淡白な内容で藤波に回転エビ固めで敗れた。 翌1987年、新日本の新春シリーズ「ニューイヤー・ダッシュ」開幕戦後楽園ホール大会(1月2日)において木村のアピールで藤波vs木村戦が組まれた。木村は試合前に「正々堂々と戦って勝つ」、そして、選手紹介前に田中リングアナからマイクを取り上げ、「この試合に負けたら俺は海外に行くから! お前もそのぐらいの気持ちで来い!」とコメントした。(この試合のレフェリーはミスター高橋) 試合は、ゴング前のボクシング・パンチの奇襲攻撃から始まった。その後も気合のこもったストンピングなどのラフ攻撃を中心としたスタイルで藤波を追い詰めた。これは前述の大阪城ホールでの試合があまりにも淡白な内容に終始してまった自らの試合運びに対する苛立ちを払拭するかのような戦い方であった。そんな意気込みは、ファンの間で幻の必殺技と言われていた変形のサソリ固めである「足あやとり殺法」トライアングル・スコーピオンを久々に見せたことにも現れている。試合終盤、レッグサポーターに「スパナ」といわれる凶器を入れた稲妻レッグ・ラリアットを敢行。フォール勝ちを奪うも、反則行為が発覚してノーコンテストとなった。木村は試合後に「勝つためには手段を選ばない」とコメントした。なお、この試合は1月5日に「ワールドプロレスリング」にて録画中継された。 翌1月3日に再戦が即マッチメイクされたが、藤波が暴走して反則負けとなる。これを不服とした藤波から再戦の申し入れが出たことを受け、1月14日、後楽園ホールでワンマッチ興行開催の運びとなった。ワンマッチ興行に際しては、1月14日に興行自体が組まれていなかったため、再戦直後に急遽後楽園ホールを押さえた他、開催2日前である1月12日放送の「ワールドプロレスリング」にて告知がなされた。当日のチケットは2000円均一の当日券のみとし、2200人の超満員札止めとなった。 試合前半より中盤は木村の攻勢が目立ったが、先日の試合で見せたトライアングル・スコーピオンを封じられたり、この遺恨のポイントのひとつであったボクシング式パンチもあまり出さなかったためか、徐々に試合巧者である藤波に主導権を奪われていった。結局終盤、勝負を賭けた稲妻を藤波に空中でキャッチされ、サソリ固め→逆エビ固め→バックドロップ→片逆エビ固め、の波状攻撃で最後は無念のギブアップ。今度は藤波が勝利し遺恨に決着がついた。この試合のレフェリーは上田馬之助が務めた。なお、この試合は1月19日にTVマッチとして録画中継されたが、急遽組まれたために、既にタレント活動もしていた古舘伊知郎の都合がつかず、映像に後で実況を被せる手法が取られた。これは音声では解説をしているはずの山本小鉄が、リングサイドで立ち働く姿が映像に何度も出てくるところから判明した。 両者の試合運びで注目すべきは、当日「完全決着戦」の色合いが濃かったため、リング中央のスプリングがはずされ、両者はわざと急角度でボディスラムを敢行したり、意識的にグラウンドでの攻防を魅せたりと、試合の前半は非常に原始的でオーソドックスな展開となった。木村はロープワークの流れでカウンターでの絶妙な稲妻を見せたりした。前述の通りこの試合は上田馬之助がレフェリーを買って出たが、木村は試合中、再三上田にボクシング式パンチを制止されたり(プロレスのリングでは拳でのパンチは反則)、前回の試合でかなりダメージを与えた攻撃パターンを封じられたこと、上田のレフェリングが若干スローモーで木村が攻勢してカバーに入ってもすぐにカウントが始まらなかった点も敗因として挙げられる。ちなみに木村の必殺技である稲妻を空中キャッチされたのは、この試合が初めてであった。序盤〜中盤、木村の攻勢が続いていたが、藤波に絶妙なムーブで切り返されたのはまさにこの試合のハイライトシーンであり、木村の負けを決定づけるシーンとなったといえるだろう。 木村は、普段は地方会場はもちろんのこと、大会場での試合においてであっても自らの持ち技以外めったに大技(言い方を変えれば観客をアッと言わせる決め技)を使わないが、この日は、トップロープ上に駆け上がった藤波に対して(つまり上空に向かって)稲妻を敢行するなど、非常に積極的な動きが目立っていた。 木村の藤波に対する執念は相当なものであり、毎年の初詣で「高級車を買う、家を買う、藤波に勝つ」と3つの祈願と絵馬奉納をしていた。しかし初めの2つの願いは叶ったが、藤波に勝つ願いは遂に叶わなかった。
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