藤波友忠奉納絵馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 06:25 UTC 版)
佐渡に渡った友忠は、出家し休岸(きゅうがん)と名乗った。島では、狄村(現在の佐渡市北狄)の齋藤万五郎家が配処であり、胎蔵寺に住した。人柄が思いやり深く、「祭主様」と慕われていた。 万治4年(1661年)、赦免を願って、胎蔵寺に絵馬を奉納した。この絵馬をめぐっては、次のような逸話が残されている。 ある年の秋に毎夜一頭の裸馬が現れて田畑を荒らし、困った村人が祭主様の許に相談しに行くと、心当たりがあると言って奉納した絵馬を村人に持ってこさせた。その絵馬をしばらく眺めると、「イヤ誠にあいすまんことをした」と呟いて筆を執り、口取り縄を書き入れた。するとそれ以降、裸馬が現れて田畑を荒らすことは無くなった。 この絵馬は、平成11年(1999年)6月、当時の相川町指定文化財となる。平成16年(2004年)3月1日の合併に伴い、同日佐渡市指定有形民俗文化財となった。
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