藤波学園 前編〈1軍対2軍〉
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「CHIBI」の記事における「藤波学園 前編〈1軍対2軍〉」の解説
ボクシングの名門藤波学園に入学した仲本は、ボクシング部の初日の新入生歓迎ロードワークに参加する。入学前より十分な基礎体力を培ってきた仲本にとっては30kmのロードワークは十分クリアできるものであったが、石倉の嫌がらせで足を負傷した野田を庇い、さらに市川とともに3人で2軍落ちが決定してしまった。米沢の指導のもと、頑張って1軍昇格を狙う決意をするのも束の間、そこで待っていたのは米沢による理不尽かつ凄惨なしごきであった。100人近くはいた2軍の練習生たちは、米沢のしごきによって翌日は10人に、最終的に5人にまで減ってしてしまい、そのうち一人も米沢の残忍酷薄に耐えかね退部を決意したうえで米沢に殴りかかろうとするも返り討ちに遭ってしまう。しかし、懸命に練習について行った残る4人は米沢のしごきにも難なく耐えられるほどの基礎体力を蓄え、そして見かねた米沢が提起した片腕スパーリングで彼を打ちのめした。米沢は4人の実力と根性を認め降参し、関に1軍昇格を土下座して懇願し、乾の仲介によって、2軍の選手たちがそれぞれ1軍の選手に勝てた場合に1軍昇格を認めることが決定した。仲本たちとの和解により米沢は対抗戦に向けた2軍の指導を担当することが決まり、また、ずっと練習をさぼり続けてきた結城も対抗戦に参加することが決まった。仲本を2軍主将に任命し、5人は仲本が考えた熱血朝練と放課後はぶっ倒れるまで続けた実践スパーリングに励むことになる。 そして運命の対抗戦当日。試合開始前に米沢は対抗戦をプロ同様のノーヘッドギア・スリーノックアウト制にすることを提案し、それが1軍の選手が「ハンデくれって言うなら別だが同じルールなら1軍の負けはないから構わない」と承諾、了承された。そして迎えた第1試合。切り込み隊長の野田は、対戦相手としてウェイトの全く異なる石倉を指名し、その要求を是が非でも通すためにゴング前なのに対戦予定相手であった秋本春夫を殴り飛ばして失神させてしまう。これで遺恨清算マッチが決定し、野田は圧倒的な実力差で石倉を打ちのめしてしまう。続く第2試合の大野は、試合中に自分が元暴走族のリーダーであることを明かし、対戦相手の的場を右ストレートでマットに沈める。しかし、岩井以外の1軍は自身をエリートと自認し、2軍を落ちこぼれ呼ばわりしている。そして第3試合の市川の試合では、「体格の合う選手がいない」という理由だけで関の差し金により3年の釜田を差し出してきた。茫然自失の市川はあっけなく2回のダウンを奪われ絶体絶命となるも、仲本の叱咤激励により奮起し、必殺の「猛牛突進パンチ」で大逆転を収める。2軍は勝ち越しが決定する。4戦目の結城の試合では、対戦予定相手の石倉はすでに野田によって倒されてしまっており、よもや不戦勝かと思いきや、結城自身の要望により岩井との対戦が急遽決定した。結果は両者スリーダウンの引き分け。そして乾は2軍の実力と根性を認め米沢に脱帽し、仲本の1軍昇格は無条件で認められ、対抗戦は2軍の3勝1引き分けの大勝で終わった。しかし、そんな融和的ムードをぶち壊すかのように一人で黙々と練習を続けている、100年の一人の天才パンチャー三沢がいた。仲本は特別試合として彼と対戦するが惜敗し、対抗戦では唯一仲本だけが負けてしまった。三沢はその年のインターハイでモスキート級を制覇したが、仲本・三沢共に自身の反省点・ボクシングスタイルを見直す事になる。
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