芸風・来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/02 21:02 UTC 版)
「アフロtheゴールドwithシスターズ」の記事における「芸風・来歴」の解説
公式で世界平和観光大使として2007年11月に来日(結成)することになった。 M-1グランプリ2008では2回戦まで進出。 笑いと歌と踊りを持ち合わせたアフロニアンビートというものを芸風にしている。うまく行かなかったことや失敗談などに落ちを持って行き、親指と小指を立てた手を前に出して「ウェ!ウェ!」と言うポーズをとっている。 4人組「アフロブラザーズ様」として活動していた時もあり、この時はゴールド、エミリーにアフロtheボビィー、アフロtheバニラを加えたユニットだった。 「アフロtheゴールド」は幹てつやが扮していたキャラクターであり、また幹の妻で『かりすま〜ず』のメンバーでもあるあゆも、このユニットのメンバーだったということを幹自身が明かしている。また現在『かぎしっぽ』のメンバーであるれおてぃも、このユニットのメンバーとして在籍していた。
※この「芸風・来歴」の解説は、「アフロtheゴールドwithシスターズ」の解説の一部です。
「芸風・来歴」を含む「アフロtheゴールドwithシスターズ」の記事については、「アフロtheゴールドwithシスターズ」の概要を参照ください。
芸風・来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 18:19 UTC 版)
当初はツービートや星セント・ルイスと並び、スピーディーな漫才で売り出しており、客をほめたあとにはしごを外す「ヨイショ漫才」を得意としていた。過労がたたり、京丸がうつ病を発症する。引退も考えるが、芸人を続けられることを京平が確信。療養を経て2002年に復帰後、京丸の持ち味だったスピード感はなりを潜め、非常にゆっくりとした話し方・動き方に変わったが、それが持ち味となっている。ナイツに「浅草の面白い師匠」などとネタにされ、注目を集めることとなった。晩年まで浅草東洋館を中心に、テレビ・ラジオ出演もこなしていた。 (先述の経緯によって)独特な話し方の京丸と、それを意に介さぬ京平が繰り広げるネタ(「もしも○○が××だったら……」と仮定を並べたネタなど)のさなか、突如として「チャチャンチャチャンチャンチャン」というブリッジをはさむ、間のおかしさが売りとなっている。 京丸は京平のことを本名の「毎田さん」と呼ぶことがある。 おぼん・こぼんを始めとした他のベテラン漫才コンビが、あくまでも相方とは「ビジネスパートナー」の関係に徹し、プライベートではまず行動を共にしないのに対し、京丸・京平は非常にコンビ仲が良いことで知られる。ナイツの塙宣之曰く「漫才協会で一番仲良し」「一緒の電車で帰る」「ずっと二人でキャッキャしている」と言われるほどの仲の良さで、水曜日のダウンタウンで解散ドッキリが行われた際も仕掛けられた京丸が泣きながら解散を思い止まるよう京平を説得したこともあった。
※この「芸風・来歴」の解説は、「東京丸・京平」の解説の一部です。
「芸風・来歴」を含む「東京丸・京平」の記事については、「東京丸・京平」の概要を参照ください。
芸風・来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 23:55 UTC 版)
独特の栃木訛りで「ムカついた事」などあるあるネタをつぶやくのが芸風である。芸名および芸風は、尊敬するマギー司郎(茨城県下館市〈当時〉出身)から拝借した(本人は否定している)。かつては茶髪のマッシュルームヘアが特徴だった。 1994年、雑誌「De☆View」に掲載されていたホリプロオーディションの募集記事を読んだ事を機に、23歳の頃ホリプロに所属。初めて出演したテレビ番組は『うるとら7:00』であった。 1990年代後半、『ボキャブラ天国』シリーズで爆笑問題、ネプチューンらと共に人気を獲得。また、1996年に関西テレビで放送されていた『超爆笑BOOING』に出演しており、当時関西では殆ど無名であったにも関わらず7週勝ち抜き、グランドチャンピオン大会へと進出。人気絶頂期であった頃には、1997年当時のバンプレスト(後のバンダイナムコゲームス)のイメージキャラクターを勤めていた。 しかし、人気がありすぎたが故にボキャブラブームの衰退と共に低迷し、一時は死亡説・自殺未遂説が流れたほど仕事が激減した。実際にはホリプロ主催のライブなどに定期的に出演しており、一発屋芸人の代名詞として語られていたが、久しぶりのテレビ露出となった『笑いの金メダル』(2004年 - 2007年)で再び話題となった。一時期よりは出演しているが、同番組のリニューアルに伴い、2005年ごろから再びテレビでの露出が減っている。 2005年(平成17年)末から2006年(平成18年)にかけ、声優業界大手の81プロデュースが主導するCGアニメ『南の島の小さな飛行機 バーディー』に出演し、声優としての新境地を開拓した。 2008年6月にテレビ東京『怒りオヤジ3』に出演した女性の占い師が番組内で「2009年3月に再ブレイクする」と予言したが、結局再ブレイクとまではいかなかった。 2010年(平成22年)から、東ハトのスナック菓子のキャンペーンキャラクターに起用され、Twitterで「つぶやき」を開始。契約終了後もTwitter上で往年同様の「あるあるネタ」を披露している。 2011年には小説家としてもデビューしている。2021年には、小説「私はいったい、何と闘っているのか」が安田顕主演で映画化された。
※この「芸風・来歴」の解説は、「つぶやきシロー」の解説の一部です。
「芸風・来歴」を含む「つぶやきシロー」の記事については、「つぶやきシロー」の概要を参照ください。
- 芸風・来歴のページへのリンク