人気絶頂期とは? わかりやすく解説

人気絶頂期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:52 UTC 版)

若水ヤエ子」の記事における「人気絶頂期」の解説

おトラさんシリーズ出演大人気女優となった若水は、1959年昭和34年)『おヤエママさん女中』に初主演。この映画大ヒットし、この『おヤエシリーズ全部で8作が製作されるほどの人気ぶりだった。しかも、この当時の映画業界では東宝新東宝松竹日活東映による五社協定結ばれており、この協定のために専属俳優陣は作品出演の自由が利かなかったのに対して、どこの専属女優でもなかった若水そのような制約一切無く全ての映画会社映画出演していたほど自由で幅広い活躍ぶりを見せていた。こうして若水女性コメディアン喜劇女優としての不動地位築いた喜劇物の映画中心三枚目キャラでの出演多かったために「東北弁訛り田舎娘」や「ひょうきん爆笑女」と言うイメージ強かった若水だが、元々の美貌や歌、演技能力も非常に高く、歌や演技の上手い美人女優として『月光仮面』などの映画ドラマにもレギュラー出演し、奥様役から恋人役まで何でも器用にこなしていた。努力家休憩時間休日は常に台本目を通し自分役回り研究していたと言う40歳過ぎた1968年昭和43年)頃からは奥様役だけではなく中年母親役や老婆役も多くなり、「戦うお母さん女優」や「おばあちゃん女優」としても活躍したまた、それまで活動中心だった映画テレビドラマ出演だけでなく、本業だった舞台女優歌手)のノウハウ活かして舞台歌手活動にも活躍の場伸ばして積極的な活動続け1971年昭和46年3月ポリドールレコードより「若水ヤエ子ひまわりキティーズ」名義で『かあちゃん子供アンダンテ・カンタービレ』(カップリングは『東北流れ者』)をリリースした1970年昭和45年2月10日リリースされ40万枚売り上げ大ヒットした左卜全の「老人と子供のポルカ」と同じ作詞者作曲者だったため二番煎じの歌と評されたものの、曲の中には若水らしいコミカルな一面随所に遺しており、コミックソングとしては異例スマッシュヒット飛ばしている。若水はこのレコードリリースしてからわずか2年後死去してしまったため、レコード発売はこの1枚のみ止まってしまったが、それなりにヒットした事は彼女が昭和3040年代にかけて国民的な喜劇女優として活躍したことを物語っている。 そのためか、この時期若水多忙に多忙重ねた過酷な毎日送っており、ほとんど休日無かったと言う。夫の村上清寿は1968年昭和43年)にオリオン出版社より「笑わせる女―喜劇女優若水ヤエ子を妻に14年」を出版しており、若水放送作家としてなかなか大成しない村上を裏でよく支え良妻で、疲労困憊どんなに体調崩して休まず弱音を吐くことなく舞台稽古収録臨んだりする努力家である一方若水成功とは裏腹に村上放送作家として熱意希薄さ目立った事や仕事不調続きである事などに苛立ち仕事過度ストレス重なって公開番組収録終えた後に楽屋で仲が良かった先輩役者飯田蝶子や他の役者に村上悪口洗いざらい話したり、自宅村上本人に対して不出来な点を頻繁に罵るなどして夫婦仲悪化して破綻状態になっており既に別居生活を送っているなど、当時スターだった喜劇役者若水ヤエ子知られざる私生活裏の顔一面面白おかしく詳細に書いている。なお、この別居中に若水飯田頻繁に悩み相談持ちかけ、彼女のアドバイスで一応離婚回避している。

※この「人気絶頂期」の解説は、「若水ヤエ子」の解説の一部です。
「人気絶頂期」を含む「若水ヤエ子」の記事については、「若水ヤエ子」の概要を参照ください。

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