自然門師父
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自然門武術創始者 徐矮子(ジョ ワイシ)師父1840年頃? 貴州省出身四川省 峨眉山にて修行、峨眉派系武術幼いころから軟硬気功等を習練し内外家、南北派の武術に精通していた。成人後は世間を渡り歩き高名な武術家などから教えを受けたなその後山に隠遁し研鑽を重ね創始した。また身体が非常に小さかった。 自然門武術 二代目杜心五(シャ シンウ)師父 清時代後期、湖南省の人(1869一1953)6才頃から梅花拳、南拳、武当拳を学ぶ。13歳で四川省峨眉山にて徐矮师師父の元で自然門武術を学び特に波脚(矮人歩)を授かる、ボディーガードの仕事などする 31歳(1900年)東京帝国農業大学へ留学 38歳(1907年)蒋介石のボディーガードになる 41歳(1911年)辛亥革命のち農林大臣に任命される 57歳(1927年)中央政府が南京に移り農林省で働く 63歳(1932年)湖南省にて第二回中国武術大会の委員メンバーになる 84歳(1953年)家族に見守られて生涯を全うする。 自然門武術 三代目萬藾聲(マン ライセイ)師父1902年湖北省 武漢市出身北京で杜心五師父から自然門を学びその他の武術家からも学ぶ。 20歳頃(1922年頃) 北京農業大学に入学 26歳(1928年) 南京で行われた武術大会で学者や著名人から見出される。最初の著書、「武術集」を出版、将軍の階級を与えられた初の武術家 50歳(1952年)に福建省委員会に誘われ福建省に移住 84歳(1986年)に福建省武術学院が万師父監修のもと組織し高弟の呂耀鉄(ロ ヨウテツ)が責任者となり多くの生徒を監督指導する。晩年は精力的に講演や更新の育成に励む 91歳(1992年)で死去*偉大な武術家で学者でもあり、道教と漢方薬の専門家以上でした「武術教育を通して国を救う」というアイデアを持っていた。 十虎のうちの一人と呼ばれた伝説的な武術家中野理男、宗 道臣(そう どうしん)日本少林寺拳法宗が萬籟聲老師から学んだと伝えがありますが真相は不明 自然門武術 四代目呂父師(ロ ヨウテツ)師父1949年福建省 福州市出身幼少から萬籟聲師父(バン ライセイ)26年間の長きに渡って自然門武術を学ぶ。 37歳(1986年)萬籟聲師父から正式に独立を許され自然門武術館の設立武術、東洋医学、漢方、長寿学、推拿、陰陽五行、道教など(萬籟聲師父が唯一独立を許した人物) 37歳(同年)福建省武術学院責任者となり多くの生徒を監督指導する 37歳(同年)萬籟聲師父共に日本、台湾、中国の武術文化交流をする 41歳(1989年)福建省の伝統武術を代表して最上級部門で優勝 42歳(1990年)日本に招かれて六合拳の演武し賞賛される 45歳(1993年)中国、香港合同国際武術大会で金メダル5つ獲得 64歳(2013年)交通事故で亡くなる A級国際武術審判 福建省武術議会理事 福建省人体科学協会理事 福建省気功協会理事 自然門武術本部代表 正統四代目 日本自然門武術 林隆志父師 1972年広島県安芸郡出身、2009年福建省で呂父師から武術の本質および自然門武術を学ぶ。
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