経済学と合理的選択理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 21:07 UTC 版)
「合理的選択理論」の記事における「経済学と合理的選択理論」の解説
近代経済学、とくにその主流となる新古典派経済学の古典的形態では、個人ないし企業などの経済主体がみずからの行為を合理的に選択すると考えて全理論を構成していた。たとえば、浦井憲と吉町昭彦は、経済学(ミクロ分析)は、「合理性による社会の把握」であり、それが「経済学の限界でありまた同時に意義」であると述べている。 より具体的には、消費者は予算制約のもとでみずからの効用を最大化し、企業は可能に生産可能な範囲で利潤を最大化すると、ミクロ経済学は考える。その画期的かつ古典的・典型的な成果は、アローとドブリューの「競争均衡理論」である。この意味で、新古典派の経済理論は、すべて合理的選択理論に基づいていると言ってよい。 ただ、現実の市場においては、個人は完全に自由とは限らず、契約の不完備性や情報の不完全性、将来の不確実性など、様々な制約が存在する。これらの場合、不完備契約の理論や情報の経済学などにより補正されるが、これらの行動を単純に合理的選択ということはできない(モラルハザードや逆選択)。また、複数の行為者同士の相互作用とその結果が、当事者たち(プレーヤー)たちの選択する戦略に依存する場合、最大化という考え方ではよい戦略決定をすることができない。このような状況を、経済学はゲームの理論で説明している。ゲームの理論では、解(均衡)の多くで、プレーヤーの行動を合理的な選択の結果と見なすことができるが、囚人のジレンマが示すように、どう行動するのが合理的か判別しがたい場合がある。最近のゲームの理論では、プレイヤーの限定合理性を前提にするのが当然とされている。プレーヤーの行動は、最適解が存在するときでも、そのように行動するとはかならずしも考えられていない(特異的戦略 idiosyncratic play)。とくに進化ゲームでは、プレーヤーの合理性(合理的な情報処理能力)はほとんどで0と前提されている。 合理的選択理論やゲーム理論は、最近、とくに公共経済学や公共選択、公共政策の分野で注目されているが、理論経済学の主流は、むしろ限定合理性を前提にした行動理論に移行しつつある。公共経済学や公共選択では、政府の行動とそれに対する人々の行動が問題になる。そこでは市場での自由競争では、十分な供給と状態の維持が不可能な公共財について、説明することが重視されている。社会秩序も公共財の一つであり、その意味で、社会学における秩序問題と、公共財の研究は同じである。この場合、政府が考えなければならないのは、真の意味の合理的選択行動ではなく、相手に出し抜かれない程度の推察である。二者二択ゲームのような単純かつ限定された設定において合理的選択理論は一定の有効性をもつと考えられている。 ケインズ経済学、オーストリア学派の経済学、さらには進化経済学や複雑系経済学も、合理的選択理論とその拠って立つ方法論的個人主義を否定している。ケインズ経済学には、その内部にさまざまな傾向・流派を包含させており、その方法論は単一ではない。たとえば、ニュー・ケインジアンたちは、価格さえ速く調整されれば、経済は完全雇用均衡に到達すると考えている。その意味でかれらは、背後に合理的個人と合理的選択を仮定していると考えられる。それに対し、ケインズ自身は、美人投票の譬えに代表されるように、人間の経済行動を合理的な選択に基づくものとは考えていなかった。ケインズのフェロー論文は『確率論』(1921)と題されているが、これは未知の未来について、ある確率分布を想定して、行動等を最適化するというものではない。ケインズのいう「確率」は、フランク・ナイトが危険と区別した意味での不確実性(uncertainty)を意味していると理解されている。ポスト・ケインジアンとニュー・ケインジアンの対立も、究極的にはここにあると考えられる。 オーストリア学派は、19世紀末の限界革命と同時的に成立したが、マーシャルやワルラスに代表される新古典派経済学とは、かなり異なる経済思想をもち、現在も新古典派経済学の主流に統合されているとはいえない。ミーゼスLudwig von Misesの『ヒューマン・アクション』は、彼独自の「実践学praxeology」に基づいて公理論的に組み立てられており、人間は経済計算により目的に合わせて最善の選択をすると考えている。これに対し、ハイエク は同じ方法論的個人主義にたちながらも、人間の合理的計算能力の限界を強調した。 進化経済学は、19世紀末のソースティン・ヴェブレンにまで遡る。進化経済学は、オーストリア学派の影響を強く受け、人間行為の結果ではあるが意図して設計したものではないものに注目している。人間行動・企業行動の理解においても、行動の進化を強調し、合理的選択理論を否定している。複雑系経済学は、合理的選択(効用の最適化・利潤の最大化)が不可能なことを出発点としており、習慣やルーティンなど、さまざまな定型行動がいかに生まれ、なぜそのような行動が一定の有効性を維持できるかが考察されている。 合理的選択理論は経済学を起源とするものだが、古典的な形態(ないし教科書的形態)では標準とされているが、経済学での理論研究の大勢はその有効性をうたがうものとなりつつある。
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