素朴集合論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/09 21:03 UTC 版)
素朴集合論(そぼくしゅうごうろん、英: Naive set theory)は、数学の基礎論で用いられる集合論の一つである[3]。形式論理を用いて定義される公理的集合論とは異なり、素朴集合論は非形式的に自然言語で定義される。離散数学で馴染み深い数学的集合の側面(たとえば、 ベン図やブール代数に関する記号の取り扱い)を説明するものであり、現代の数学における集合論の概念を日常的に扱うのに十分なものである[4]。
集合は数学において非常に重要である。現代の形式的な扱いでは、ほとんどの数学的対象(数、関係、関数など)は集合の観点から定義される。素朴集合論は多くの目的に十分であると同時に、より形式的な取り扱いへの足がかりとしても有効である。
方法
「素朴集合論」という意味での素朴論は、形式化されていない理論、つまり、自然言語を使用して集合と集合の操作を述べる理論である。かつ (and)、または (or)、もし〜ならば (if ... then)、〜でない (not)、 ある〜に対して(for some)、すべての〜に対して (for every) は、通常の数学と同様に扱われる。便利であるため、素朴集合論とその形式主義は、集合論自体のより形式的な設定を含め、より高度な数学でも用いられている。
集合論の最初の発展は素朴集合論であった。19世紀の終わりに、無限集合の研究の一環としてゲオルク・カントールによって構築され[5]、ゴットロープ・フレーゲが自身の著書 Grundgesetze der Arithmetik で発展させた。
素朴集合論は、大きく異なる概念を指し示すことがある。たとえば以下のものである。
- 公理的集合論の非形式的な表現。たとえば、ポール・ハルモスの Naive Set Theoryのようなもの。
- カントールの理論およびその他の非形式的システムの初期・後期版。
- ラッセルのパラドックスを生み出したフレーゲの理論[6]や、ジュゼッペ・ペアノ[7]とリヒャルト・デーデキントの理論など、明らかに矛盾した理論(公理的かどうかにかかわらず)。
パラドックス
任意の性質を用いて、制限なしに集合を構築できるという仮定は、パラドックスにつながる。一般的な例に、ラッセルのパラドックスがある。「自分自身を含まないすべての集合」で構成される集合は存在しない。したがって、素朴集合論を無矛盾なシステムとするためには、集合を構成するために使う原理に対して制限をかける必要がある。
カントールの理論
ゲオルク・カントールの集合論は、実際には集合論のパラドックスと関係ないと考える者もいる(Frápolli1991を参照)。これを確実に判断するのが難しい理由の一つは、カントールがシステムの公理化を行わなかったためである。 1899年までに、カントールは自身の理論の無制限の内包によっていくつかのパラドックス、たとえばカントールのパラドックス[8]やブラリ=フォルティのパラドックス[9]が生じることに気づいていたが、それらが自身の理論の評価を下げるとは思っていなかった[10]。カントールのパラドックスは、実際には上記の(誤った)仮定(任意の性質 P(x) を用いて集合を構成できること)と P(x) =「x は基数」を用いて導出できる。フレーゲは、素朴集合論の形式化された版を解釈できる理論を明示的に公理化した。バートランド・ラッセルがパラドックスを提示したときに実際に取り上げたのはこの形式理論であり、必ずしも(前述の通りパラドックスに気づいていた)カントールの理論ではなかった。もっとも、おそらく念頭に置いていただろう。
公理的理論
公理的集合論は、どの操作がいつ許可されるかを正確に定めることを目的として、集合を理解するこれらの初期の試みに応えて開発された。
無矛盾性
素朴集合論は、考慮できる集合を正しく指定していれば、必ずしも矛盾を生じるわけではない。これは、暗黙の公理である定義によって行うことができる。ハルモスの Naive Set Theory の場合のように、すべての公理を明示的に述べることができるが、これは実際には通常の公理的ツェルメロ=フレンケル集合論の非形式な表現となる。言語と表記法が通常の非形式的な数学のものであり、公理系の無矛盾性や完全性を扱っていないという点で、素朴集合論は「素朴」である。
同様に、公理的集合論は必ずしも無矛盾というわけではなく、必ずしもパラドックスがないわけではない。ゲーデルの不完全性定理から、十分に複雑な一階述語論理システム(最も一般的な公理的集合論を含む)は、実際には無矛盾だとしても、理論自体の中から無矛盾性を証明できない。ただし、一般的な公理系は一般的に無矛盾と考えられている。これらの公理によって、ラッセルのパラドックスのようないくつかのパラドックスは排除されるためである。ゲーデルの定理に基づくと、これらの理論や一階述語論理の集合論にパラドックスが一切なくても、無矛盾性はわかっていないどころか、わかるものでもない。
素朴集合論という用語は、現代の公理的集合論の非形式的版ではなく、フレーゲとカントールによって研究された集合論を指して、今日でも一部の文献[要出典]で用いられている。
利用
公理的アプローチと他のアプローチのどちらを選ぶかは、主に利便性の問題である。日常の数学では、公理的集合論を非形式的に使うが最善の選択かもしれない。特定の公理への言及は、通常、慣例的に必要になったときにのみ生じる。たとえば、選択公理は、使用時に言及されることがよくある。同様に、形式的な証明は、例外的な状況によって保証された場合にのみ生じる。このような非形式的な公理的集合論の扱いは、以下に概説するように、(表記法によっては)素朴集合論の見た目そのものとなる。非形式的なものでは(ほとんどの主張、証明、および議論の定式化において)読み書きがかなり簡単になり、厳密に形式的なアプローチよりも誤りが起こりにくい。
集合、帰属関係、同一性
素朴集合論では、集合は明確に定義された対象の集まりとして記述される。これらの対象は、集合の要素または元と呼ばれる。対象は、数字、人、その他の集合など、何でもかまわない。たとえば、4はすべての偶数の整数の集合の元である。明らかに、偶数の集合は無限に大きいが、集合が有限である必要はない。

集合の定義はカントールに戻る。彼は1915年の記事Beiträge zur Begründung der transfiniten Mengenlehre に次のように述べている。
“Unter einer 'Menge' verstehen wir jede Zusammenfassung M von bestimmten wohlunterschiedenen Objekten unserer Anschauung oder unseres Denkens (welche die 'Elemente' von M genannt werden) zu einem Ganzen.” – Georg Cantor
「集合とは、集合の要素と呼ばれる、我々の知覚または思考の明確で明確な対象の全体に集まったものである。」 – ゲオルク・カントール

無矛盾性に関する注意
この定義から、集合がどのように形成されるか、および集合に対するどの操作が再び集合を生成するかはわからない。 「明確に定義された対象の集まり」の「明確に定義された」という用語は、それ自体では、集合を構成するものと構成しないものの無矛盾性と明確性を保証することはできない。これを達成しようとすると、公理的集合論または公理的クラス論の領域になる。
この文脈では、特定の公理的理論から導き出されていない(そして暗示されていない)、非公式に定式化された集合論での問題は、大きく異なる形式化がなされた版がありうるということである。これらは集合も新しい集合がどのように構成されうるかを定めるルールについても異なるが、すべてもとの非形式的な定義に準拠している。たとえば、カントールの逐語的な定義は、集合を構成するものをかなり自由に定義できる。一方、カントールが猫や犬を含む集合に特に関心を持っていた可能性は低く、純粋に数学的な対象を含む集合にのみ関心があった。このような集合のクラスの例は、フォン・ノイマン宇宙である。しかし、考えている集合のクラスを修正する場合でも、パラドックスを巻き込むことなく集合を構成するために、どのルールが許可されるかは必ずしも明確ではない。
以下の説明を修正する目的で、「明確に定義された(well-defined)」という用語は、むしろ、矛盾を除くための暗黙的または明示的なルール(公理または定義)を用いる意図として解釈されるべきである。この目的は、多くの場合深く困難な無矛盾性の問題を、普通はより単純なコンテキストから切り離すことにある。ゲーデルの第二不完全性定理のため、考えられるすべての矛盾(パラドックス)の明示的な除外は、とにかく公理的集合論では達成できない。したがってこれは、以下で検討するコンテキストにおいて、単純な公理的集合論と比べたときに素朴集合論の有用性を阻害するものではなく、単に議論を単純化するだけである。これ以降、特別な言及がない限り、無矛盾性は保証されるとみなす。
帰属関係
x が集合 A の要素である場合、 x は A に属している、または x は A に含まれると表現する。これは x ∈ A で表される。記号 ∈ は、1889年にジュゼッペ・ペアノによって導入された、ギリシャ文字の小文字のイプシロン「ε」から派生したもので、 ἐστί (「is」の意味)という単語の最初の文字である。記号 ∉ は、x ∉ A という表記でよく用いられ「x は A に含まれない」という意味になる。
同一性
2つの集合 A と B は、まったく同じ要素を持っている場合、つまり、A のすべての要素が B の要素であり、B のすべての要素が A の要素である場合に等しいと定義される(外延性の公理を参照)。したがって、集合はその要素によって完全に定まる。たとえば、要素 2, 3, 5 の集合は、6未満のすべての素数の集合と同じである。集合 A と B が等しい場合、これは記号としては普通と同じく A = B と表される。
空集合
空集合は多くの場合 Ø で示され、場合によっては
脚注
- ^ “Earliest Known Uses of Some of the Words of Mathematics (S)” (April 14, 2020). 2023年2月3日閲覧。
- ^ Halmos 1960, Naive Set Theory.
- ^ Jeff Miller writes that naive set theory (as opposed to axiomatic set theory) was used occasionally in the 1940s and became an established term in the 1950s. It appears in Hermann Weyl's review of P. A. Schilpp, ed (1946). “The Philosophy of Bertrand Russell”. American Mathematical Monthly 53 (4): 210, and in a review by Laszlo Kalmar (Laszlo Kalmar (1946). “The Paradox of Kleene and Rosser”. Journal of Symbolic Logic 11 (4): 136.).[1] The term was later popularized in a book by Paul Halmos.[2]
- ^ Mac Lane, Saunders (1971), “Categorical algebra and set-theoretic foundations”, Axiomatic Set Theory (Proc. Sympos. Pure Math., Vol. XIII, Part I, Univ. California, Los Angeles, Calif., 1967), Providence, RI: Amer. Math. Soc., pp. 231–240, MR0282791
- ^ Cantor 1874.
- ^ Frege 1893 In Volume 2, Jena 1903. pp. 253-261 Frege discusses the antionomy in the afterword.
- ^ Peano 1889 Axiom 52. chap.
- ^ a b Letter from Cantor to David Hilbert on September 26, 1897, Meschkowski & Nilson 1991 p. 388.
- ^ Letter from Cantor to Richard Dedekind on August 3, 1899, Meschkowski & Nilson 1991 p. 408.
- ^ a b Letters from Cantor to Richard Dedekind on August 3, 1899 and on August 30, 1899, Zermelo 1932 p. 448 (System aller denkbaren Klassen) and Meschkowski & Nilson 1991 p. 407.
- ^ Halmos 1974, p. [要ページ番号].
- ^ a b c d e Jech 2002, p. 4.
- ^ Halmos 1974, Chapter 2.
- ^ a b Jech 2002, Section 1.6.
- ^ Halmos 1974, See discussion around Russell's paradox.
- ^ Jech 2002, p. 61.
参考文献
- Bourbaki, N., Elements of the History of Mathematics, John Meldrum (trans.), Springer-Verlag, Berlin, Germany, 1994.
- Cantor, Georg (1874), “Ueber eine Eigenschaft des Inbegriffes aller reellen algebraischen Zahlen”, J. Reine Angew. Math. 77: 258–262, doi:10.1515/crll.1874.77.258 , See also pdf version
- Devlin, K.J., The Joy of Sets: Fundamentals of Contemporary Set Theory, 2nd edition, Springer-Verlag, New York, NY, 1993.
- María J. Frápolli|Frápolli, María J., 1991, "Is Cantorian set theory an iterative conception of set?". Modern Logic, v. 1 n. 4, 1991, 302–318.
- Frege, Gottlob (1893), Grundgesetze der Arithmetik, 1, Jena
- Halmos, Paul (1960). Naive Set Theory. Princeton, NJ: D. Van Nostrand Company
- Halmos, Paul (1974). Naive Set Theory (Reprint ed.). New York: Springer-Verlag. ISBN 0-387-90092-6
- Halmos, Paul (2011). Naive Set Theory (Paperback ed.). Mansfield Centre, CN: D. Van Nostrand Company. ISBN 978-1-61427-131-4
- Jech, Thomas (2002). Set theory, third millennium edition (revised and expanded). Springer. ISBN 3-540-44085-2
- Kelley, J.L., General Topology, Van Nostrand Reinhold, New York, NY, 1955.
- van Heijenoort, J., From Frege to Gödel, A Source Book in Mathematical Logic, 1879-1931, Harvard University Press, Cambridge, MA, 1967. Reprinted with corrections, 1977. ISBN 0-674-32449-8ISBN 0-674-32449-8.
- Meschkowski, Herbert; Nilson, Winfried (1991), Georg Cantor: Briefe. Edited by the authors., Berlin: Springer, ISBN 3-540-50621-7
- Peano, Giuseppe (1889), Arithmetices Principies nova Methoda exposita, Turin
- Zermelo, Ernst (1932), Georg Cantor: Gesammelte Abhandlungen mathematischen und philosophischen Inhalts. Mit erläuternden Anmerkungen sowie mit Ergänzungen aus dem Briefwechsel Cantor-Dedekind. Edited by the author., Berlin: Springer
外部リンク
- Beginnings of set theory page at St. Andrews
- Earliest Known Uses of Some of the Words of Mathematics (S)
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