第1次小川監督時代とは? わかりやすく解説

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第1次小川監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:07 UTC 版)

東京ヤクルトスワローズ」の記事における「第1次小川監督時代」の解説

2010年監督代行時代含める。 2010年 6月打線補強としてジョシュ・ホワイトセルトレードではリリーフ陣の補強として渡辺恒樹山岸穣獲得小川体制になってからは野手陣投手陣共に奮起し徐々にチーム状況好転していく。6月に14勝8敗、7月11勝8敗、8月には10連勝を含む18勝8敗と大きく勝ち越す8月24日の対横浜ベイスターズ戦で勝率を5割に復帰させ、その後勝率5割前後を維持しながら、3位とのゲーム差徐々に詰め最小3.5ゲームまで3位との差を詰める。しかし、最終的に前半戦不振響いた形となり、4位に終わりCS進出はならなかったが、成績7268敗4分け6年ぶりに勝ち越した。 このシーズンリーグ優勝した中日相性良くセ・リーグ他球団が苦手としたナゴヤドームリーグ唯一の勝ち越しシーズン通算で7勝4敗1分け小川体制移行後に限れば5勝1敗)、シーズン対戦成績15勝8敗1分け唯一勝ち越し、特に小川体制移行後は12勝3敗と圧倒した高田監督時代に非常に苦手にしていた巨人に対しても、後半戦同一カード3連勝を含む対巨人戦5連勝などもあり、小川体制に代わってからは8勝7敗1分け勝ち越している。 2011年 東日本大震災影響により、開幕日が当初3月25日から4月12日延期された。開幕直後ウラディミール・バレンティン畠山和洋などが好調4月下旬にはセ・リーグ首位立ったその後首位キープし続け8月には阪神一時詰め寄られるも、9月に9連勝して阪神追撃をかわし、対巨人戦12勝8敗4分と11年ぶりに勝ち越した。しかし、バレンティン畠山主軸打者シーズン終盤から相次いで打撃不振陥ったことに加え主力選手離脱が相次ぎ最大10ゲーム差をつけていた2位中日との直接対決9月以降で1勝8敗と大きく負け越し2位後退したため、最終的に705915分首位とは2.5ゲーム差10年ぶりのリーグ優勝逃した。クライマックスシリーズファーストステージで巨人に2勝1敗で勝利球団初のファイナルステージ進出したが、中日に2勝4敗で敗退した石井弘寿現役引退したバレンティン本塁打王獲得2012年 1月17日青木宣親ポスティングシステムミルウォーキー・ブルワーズ移籍3月19日には球団事務所東京都港区東新橋から明治神宮野球場ほど近い北青山移転した3月30日開幕巨人戦球団史上初の開幕戦完封勝ち記録対す巨人球団史上初の開幕戦完封負け)し、4月24日対中日戦(神宮)に勝利し首位タイとすると、続く26日の同カードでも勝利して単独首位に立つが、交流戦では5月30日対日本ハム戦(神宮)に敗れてチーム39年ぶりとなる10連敗記録するなど 9勝15敗の最下位終わり巨人中日首位争いから後退前半戦広島と同ゲーム差の4位となり、後半戦広島との3位争いとなる。9月29日対中日戦(神宮)に0対4で敗れたが、この日広島も阪神敗れたため、3位確定とし2年連続クライマックスシリーズ出場決めている。クライマックスシリーズファーストステージでは、中日対戦。1勝1敗とした第3戦で1対0でリードしていた8回裏トニ・ブランコ満塁本塁打打たれ逆転され敗戦、1勝2敗で敗退した福地寿樹宮出隆自現役引退し林昌勇退団した5月4日宮本慎也通算2000本安打を達成したバレンティン2年連続本塁打王獲得オフに元楽天岩村明憲7年ぶりに復帰2013年 5月以降最下位低迷し9月23日の対阪神戦甲子園)に0対2で敗れクライマックスシリーズ進出可能性消滅し3年ぶりのBクラス確定し、続く10月1日の対巨人戦神宮)で1対0で敗れ6年ぶりの最下位決定した本拠地神宮球場では3132敗1分だったが、神宮以外の球場では2651敗3分と大きく負け越した宮本慎也藤本敦士現役引退した。特にウラディミール・バレンティン以外の野手規定打席到達者出ないなど、野手陣不調故障響いたウラディミール・バレンティン8月日本プロ野球新記録月間18本塁打記録するなど、本塁打量産9月15日の対阪神戦神宮)で日本プロ野球新記録シーズン56本塁打アジア野球新記録57本塁打記録しこの年60本として3年連続本塁打王獲得投手では新人小川泰弘16勝4敗で最多勝勝率第1位投手賞の2冠を獲得2014年 終盤まで最下位低迷し9月22日小川淳司監督球団申し入れ今季限り監督辞任することを会見表明9月29日の対広島戦マツダ)に敗れ2年連続最下位決定した規定打席到達して3割2本塁打達成した打者を5人(山田哲人雄平畠山和洋川端慎吾バレンティン擁しチーム打率得点数はリーグトップであった反面規定投球回到達した投手リーグ防御率最下位石川雅規のみであり、チーム防御率失点数は最下位であった10月8日後任チーフ打撃コーチ真中満就任発表された。 オフ相川亮二読売ジャイアンツFA移籍2年続けて最下位陥った低迷から脱却するため、大型補強敢行した。千葉ロッテマリーンズからFA宣言した成瀬善久北海道日本ハムファイターズからFA宣言した大引啓次メジャーリーガーローガン・オンドルーセック読売ジャイアンツFA移籍した相川人的補償として奥村展征獲得

※この「第1次小川監督時代」の解説は、「東京ヤクルトスワローズ」の解説の一部です。
「第1次小川監督時代」を含む「東京ヤクルトスワローズ」の記事については、「東京ヤクルトスワローズ」の概要を参照ください。

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