第1次安倍政権から麻生政権にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:34 UTC 版)
「石原伸晃」の記事における「第1次安倍政権から麻生政権にかけて」の解説
2006年、総裁・安倍晋三の下で幹事長代理に就任した。2007年の党役員人事では自民党政務調査会長に起用され、初めて党三役入りし、12月に山崎派へ入会[要出典]した。2008年、福田康夫の辞任に伴う自由民主党総裁選挙に史上最年少で立候補するが、得票数4位で落選した。新たに総裁となった麻生太郎の下で再び幹事長代理に就任した。2009年7月、自民党は東京都議会議員選挙で大敗し、東京都連会長の伸晃は、敗北の責任を取り都連会長を辞任する意向を表明したが、第45回衆議院議員総選挙の期日が近く辞任は了承されなかった。8月の第45回衆議院議員総選挙で、東京8区で社会民主党前職の保坂展人を破り、7選される。選挙後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。
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