第1次安倍内閣後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:45 UTC 版)
入院中の晋三に対し、昭恵は政治家引退を勧めたが、晋三に「いや、それは違う」と拒否された。 内閣総理大臣を辞任した晋三について、昭恵は「楽な道を捨て、茨の道を選んだ」と評しており、晋三が参議院議員選挙惨敗後すぐに辞職しなかったことで「KY」(=空気が読めない)と批判されたことについては「今でも納得できません」と主張している。晋三が政権運営に失敗した理由については、「本人が政権運営の面で突っ走ったこと」を「マスコミに書き立てられたことが、支持離れを起こした理由」だと主張している。 2008年の第169回国会会期中、晋三と昭恵は私的なスキー旅行に出かけたため、メディアから批判された。昭恵は自身のブログでスキー旅行の模様を公開している。 2008年4月10日の、北京オリンピック開催に際し、チベットへの中華人民共和国の人権弾圧に対する抗議活動が世界中で繰り広げられる中、ダライ・ラマ14世がインドからアメリカ合衆国へ行く途中に日本へ立ち寄った。政府はダライ・ラマを敵視している中華人民共和国に配慮し、「政府として接触する予定はない」としていたが、昭恵がダライ・ラマと面会することとなった。日本国全体が人権問題を軽視しているわけではないことを国際社会に示す意図があったとされる。 2011年3月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)取得。修士論文は、「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活—NGOの寺子屋教育支援—」。
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