稲荷森古墳とは? わかりやすく解説

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稲荷森古墳

名称: 稲荷森古墳
ふりがな いなりもりこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 山形県
市区町村 南陽市長岡
管理団体 南陽市(昭55・6・2)
指定年月日 1980.05.24(昭和55.05.24)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S55-05-016稲荷森古墳.txt: 最上川を遡った内陸部米沢盆地がある。この地域は、古く置賜郡として陸奥国属し出羽国の成立とともに出羽国属したもので、福島県宮城県方面との文化的交流深く弥生時代中期以降農耕文化を示す遺跡横穴式石室をもつ古墳群存在知られていた。この盆地東北方に当たる平野部にある低丘陵利用して営まれ前方後円墳が稲荷森古墳である。この古墳昭和8年頃に発見され最近至って地形測量により再認識され、昭和5254年にかけて山形県測量発掘行って確認したのである。この古墳は、西南方に向かって連なる小さな丘陵一つ利用し前方部南々西に向け、後円部東北方に丘陵遺存する。この付近古墳時代中期ころ(南小泉式期等)の集落跡となっている。墳丘半ば丘陵利用しその上に盛土したものである。全長は約96メートル後円部62メートル、高さ約10メートル前方部長さ34メートル前方部端幅32メートル、高さ約5メートルで、後円部三段築成となっている。後円部比較し前方部短く、また低い特色を示すが、全体として墳形良く残しているものである調査により葺石一部後円部築成前に破砕され土師器脚部検出されている。またくびれ部は中世土〓(*1)墓として利用されたこともあり、陶器片や人骨等も検出されている。出土土器大規模化した古墳の形態から5世紀代に属するものと考えられている。
 この地域は、日本列島全体古墳広がりとしては北端属す地域であるが、このような大型前方後円墳築造されていたことは、古墳時代研究上に新し問題点提出するのである加えてこの盆地内で若干数の小規模な前方後円墳知られつつあり、卓越した規模をもつ稲荷森古墳は、この盆地基盤としたこの地域首長墓としてとらえられるのである古墳時代におけるこの地域東方あるいは西日本等との政治的関係も示す重要なものであり、今回その保存を図るものである
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史跡:  秋葉山古墳群  称名寺境内  稲村ヶ崎  稲荷森古墳  穆佐城跡  穴ヶ葉山古墳  穴太廃寺跡

稲荷森古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 21:01 UTC 版)

稲荷森古墳

墳丘全景
(左手前に前方部、右奥に後円部)
所在地 山形県南陽市長岡字稲荷森
位置 北緯38度2分22.76秒 東経140度9分26.06秒 / 北緯38.0396556度 東経140.1572389度 / 38.0396556; 140.1572389座標: 北緯38度2分22.76秒 東経140度9分26.06秒 / 北緯38.0396556度 東経140.1572389度 / 38.0396556; 140.1572389
形状 前方後円墳
規模 墳丘長96m
高さ9.6m(後円部)
埋葬施設 (推定)木棺直葬
出土品 土師器
築造時期 4世紀
史跡 国の史跡「稲荷森古墳」
特記事項 東北地方第7位/山形県第1位の規模
地図
稲荷森古墳
山形県内の位置
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稲荷森古墳(いなりもりこふん)は、山形県南陽市長岡にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

山形県では最大、東北地方では第7位の規模の古墳で[注 1]4世紀末(古墳時代中期初頭)頃の築造と推定される。

概要

山形県南部、米沢盆地北縁で吉野川右岸の長岡丘陵上において、孤立丘の丘尾を切断して築造された大型前方後円墳である[1]。大型古墳としては日本海側内陸部で最北に位置する[1][注 2]。これまでに数次の調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を南南西方に向ける[2]。墳丘は後円部が3段築成、前方部が1段築成で[3]、旧状を良好に遺存する。墳丘長は約96メートルを測り、山形県では最大、東北地方では第7位の規模になる[注 1]。墳丘外表で葺石埴輪は検出されていないが、墳丘内部から土師器が出土している[3]。また周濠も存在していないが、墳丘の周囲一定範囲にテラス帯が認められている[1]。埋葬施設は未確認で明らかでないが、一説には石室を持たない木棺直葬と推測される[4]

この稲荷森古墳では、年代観を正確にする埴輪等の資料が出土していないものの、墳形および出土土師器を基に4世紀末頃(古墳時代中期初頭)の築造と推定されている[1]。本古墳の築造以前には米沢市域・川西町域・南陽市域の3地域で前方後方墳を主とする古墳(天神森古墳・宝領塚古墳など)が営まれていたが、稲荷森古墳によってそれら3地域が統合された様相を示すため、稲荷森古墳はそれらを統合した首長(置賜地方の王)により記念碑(象徴)的に築造されたものと考えられている[1]。しかし稲荷森古墳に続く首長墓はなく、置賜地方の中心地は米沢市域に移ったとされる[1]。そのほか、稲荷森古墳と大塚山古墳(宮城県名取市)・念南寺古墳(宮城県色麻町)・堂の森古墳(福島県浪江町)などとの墳形の類似性を指摘する説や、稲荷森古墳の被葬者が東北地方最大の雷神山古墳(宮城県名取市)の被葬者と同盟関係にあったとする説もある[5]

古墳域は1980年昭和55年)に国の史跡に指定された[2]。その後現在までに、墳丘を基本的に維持したままで史跡整備がなされている[1]

遺跡歴

  • 1938年昭和13年)、古墳とする説が初めて提唱[1]
  • 1961年(昭和36年)、トレンチ調査(山形大学)。平安時代須恵器のみの出土で、古墳とする確証はなし[1]
  • 1977年(昭和52年)、測量調査(山形県史編纂室・稲荷森古墳調査団)。前方後円墳と判明[1]
  • 1978-1979年(昭和53-54年)、発掘調査(山形県立博物館)。墳丘構造・築造法の判明[1]
  • 1980年(昭和55年)5月24日、国の史跡に指定[2]
  • 1985年(昭和60年)、精密測量図の作成(南陽市教育委員会)[1]
  • 1987-1988年度(昭和62-63年度)、発掘調査(南陽市教育委員会)[1]
  • 1989年度(平成元年度)、史跡整備(南陽市教育委員会)[1]

墳丘

横からの全景
左に前方部、右に後円部。

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:約96メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:約62メートル
    • 高さ:約9.6メートル
  • 前方部 - 1段築成。
    • 長さ:約34メートル
    • 前端幅:約30メートル
    • 高さ:約5メートル

墳丘は、後円部に比べて前方部が低く短い「銚子式(銚子形)」という古相の形状を示す[3]。前方部は米沢盆地中央の方角を向く[1]。後円部の3段のうち、1段目はかなり高くほぼ地山から成り、2段目・3段目は版築から成る[3]

墳形に関しては、前方部が変形していることを基に、前方部の半分が意図的に築造されなかったという「前方部半截型」説が提唱されている[3][1]。この説では、同時期の築造で東北地方最大規模の雷神山古墳宮城県名取市)の被葬者による古墳規制を受けたとする[1]。しかし半截型とするには批判的な説もあり、検証の必要が指摘される[1]

出土品

発掘調査による主な出土品は次の通り。

  • 高坏形土師器
    稲荷森古墳の築造以前に後円部直下で営まれていた竪穴建物跡で使用された土器[1]。塩釜式で古形式の土師器であり4世紀前半から中頃と推定され、それ以後に稲荷森古墳が築造されたことを示す[1]
  • 底部穿孔土師器壺形土器
    地山削出部から検出されており築造当時の土器になるが、置賜地方で広く使用された土器形式でなく移入伝世品と見られるため、築造年代を明らかとする土器にはならない[1]

そのほか、古墳域は平安時代から中世期にかけて墓地化したものと見られ、域内からは墓地化を示す後世の墓壙や石塔片が認められている[6]。なお埴輪は検出されていないため、埴輪に基づく年代観はない。

文化財

国の史跡

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ a b 東北地方における主な古墳は次の通り。
    1. 雷神山古墳(宮城県名取市) - 墳丘長168メートル
    2. 亀ヶ森古墳(福島県河沼郡会津坂下町) - 墳丘長129メートル。
    3. 会津大塚山古墳(福島県会津若松市) - 墳丘長114メートル。
    4. 玉山古墳(福島県いわき市) - 墳丘長112メートル。
    5. 遠見塚古墳(宮城県仙台市) - 墳丘長110メートル。
    6. 青塚古墳(宮城県大崎市) - 墳丘長100メートル。
    7. 稲荷森古墳(山形県南陽市) - 墳丘長96メートル。
    また近年の調査では、規模全容は未判明ながら次の古墳が大型古墳と推定される。
    • 南森古墳(山形県南陽市) - 墳丘長150-168メートル。
    • 塚前古墳(福島県いわき市) - 墳丘長95-120メートル。
  2. ^ 前方後円墳(大型古墳に限らない)の日本海側内陸部最北は坊主窪古墳群(山形県東村山郡山辺町大寺)の坊主窪1号墳になる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 佐藤鎮雄 2004.
  2. ^ a b c d 稲荷森古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ a b c d e 稲荷森古墳(平凡社) 1990.
  4. ^ a b 史跡説明板。
  5. ^ 山形県の歴史 1998, pp. 28–29.
  6. ^ 稲荷森古墳(角川) 1981.

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

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