福岡第一師範学校
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福岡第一師範学校 (ふくおかだいいちしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、福岡県に設置された師範学校である。
- ^ 『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年) 61頁・201頁、および、『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 353頁による。
- ^ 入所資格は 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 354頁による。『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1263頁では20歳以上。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 356頁。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 357頁による。『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1263頁では 1875年7月。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 359頁。
- ^ 『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年) 200-201頁。
- ^ 大学概要2007 (pdf, 約6.3MB) 41頁沿革略図。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 365頁。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1264頁。
- ^ 大学概要2007 (pdf, 約6.3MB) 41頁沿革略図では、1887年4月。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1266頁。
- ^ 『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年) 94頁。ただし、『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年(昭和55年)) 824頁によれば、1903年(明治36年)4月の女子師範開校時は鳥飼村の新校舎が使われ、火災で焼失したため再び荒戸町の旧女子部校舎に戻った。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1264-1265頁。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1265頁、『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 813頁。
- ^ 詳細は福岡第二師範学校を参照)。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第6巻 通史編 (2)』(1981年) 180頁。
- ^ 『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 824頁によれば、1903年4月の女子師範開校時は鳥飼村の新校舎が使われたが、5月に火災で焼失したため、再び荒戸町の旧女子部校舎に戻った。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年) 1265頁、『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年) 813頁による。『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年) 94頁では 1907年(明治40年)3月。
- ^ 『福岡市史 : 第1巻 明治編』(1959年(昭和34年)) 1265頁、『福岡県教育百年史 : 第5巻 通史編 (1)』(1980年(昭和55年)) 825頁による。『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年(平成18年)) 96-97頁では 1907年()4月。
- ^ 『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年) 96頁。
- ^ 『「師魂」の継承 : 福岡教育大学の過去・現在・将来』(2006年(平成18年)) 137頁。
- ^ 元九州芸術工科大学
- ^ 国立公文書館「種子島時中外三名尋常師範学校長並ニ教頭ニ被任ノ件」履歴書付、明治20年4月7日。八重野範三郎は熊本県士族、嘉永2年4月生。
- ^ 『官報』第3199号、大正12年4月2日。
- ^ 『官報』第2602号、大正10年4月7日。
- ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
- ^ a b 『官報』第5565号、昭和20年8月1日。
- 1 福岡第一師範学校とは
- 2 福岡第一師範学校の概要
- 3 校地の変遷と継承
- 4 関連文献
福岡県女子師範学校
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「福岡第一師範学校」の記事における「福岡県女子師範学校」の解説
1883年(明治16年)8月: 福岡高等小学校内に区立女教師養成所を併設。 1884年(明治17年)6月: 区立女教師養成所、廃止 (卒業者28名)。 1887年(明治20年)9月: 福岡県尋常師範学校に女子部を設置 (4年制)。区立女教師養成所卒業生による女子部設立運動の成果。 1892年(明治25年): 女子部、3年制に短縮。 1902年(明治35年)5月: 福岡県女子師範学校1903年(明治36年)4月開校の旨、告示。 1903年(明治36年)4月1日: 福岡県師範学校から女子部が独立し、福岡県女子師範学校開校。当初は福岡市荒戸町 (現・福岡市中央区西公園) の福岡県師範学校と校舎共用。 初代校長: 園田定太郎。 5月27日: 建設中の女子師範新校舎、火災で焼失。 1904年(明治37年)5月: 女子師範学校、早良郡鳥飼村大字鳥飼の新校舎(現・福岡市中央区鳥飼2丁目、福岡市立南当仁小学校・鳥飼県営住宅付近)に移転。 1908年(明治41年)3月: 学則が制定され、本科第一部 (4年制。入学資格15歳-18歳)・本科第二部 (2年制。高等女学校卒対象) を設置。 4月: 附属小学校(現福岡教育大学附属久留米小学校の前身)を設置。 1910年(明治43年)4月: 本科第二部を1年制に短縮。 1925年(大正14年)4月: 本科第一部を5年制に変更 (2年制高等小学校卒対象)。専攻科を設置。 1926年(大正15年)3月: 本科第二部を2年制に延長。
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