福岡県小倉師範学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:23 UTC 版)
「福岡第二師範学校」の記事における「福岡県小倉師範学校」の解説
1907年(明治40年): 義務教育が4年制から6年制に延長され、福岡県では小学校教員の不足数が1,000人を超えた。そのため、福岡に次ぐ第二の県師範学校を設置することとなった。 1908年(明治41年)3月28日: 福岡県小倉師範学校の設立公示 (福岡県告示第125号) 4月1日: 福岡県小倉師範学校開校。本科第一部 (4年制。3年制高等小学校卒対象) を設置。 企救郡足立村大字砂津 (現・北九州市小倉北区高浜1丁目、JR東小倉駅付近) にあった旧・金辺鉄道 (きべてつどう) 事務所を仮校舎として使用。 初代校長: 織田勝馬。上級生による下級生いじめを軽減するため小寄宿舎制を導入 (姫路師範学校をモデルとした)。 4月28日: 第1回入学式。 5月22日: 偕行社にて小倉中学校と合同開校式を挙行。 1909年(明治42年)7月: 足立村富野の新校舎(現・北九州市小倉北区下富野3丁目、福岡教育大学附属小倉小学校・中学校所在地)に一部移転。 1911年(明治44年)4月: 附属小学校を開設。砂津の陸軍予備病院建物を仮校舎とした。 1913年(大正2年)5月: 小倉師範・附属小学校ともに新校舎に移転完了。 1914年(大正3年): 本科第二部 (1年制。中学校卒対象) を設置。 1925年(大正14年)4月: 本科第一部を5年制に変更 (2年制高等小学校卒対象)。 1926年(大正15年): 専攻科を開設 (1年制)。 1931年(昭和6年)4月: 本科第二部を2年制に延長。 秋: 福岡県教育会にて小倉師範廃止の意見が出される。地元関係者ら、小倉師範擁護会を結成し、同窓会と共に廃止反対運動を展開。 1932年(昭和7年): 廃止案終息。 1939年(昭和14年)8月: 傷痍軍人小学校教員福岡養成所 (1年制) を附設。 1942年(昭和17年)12月: 福岡県会、北九州地区への女子師範設置を承認。国の認可待ち。
※この「福岡県小倉師範学校」の解説は、「福岡第二師範学校」の解説の一部です。
「福岡県小倉師範学校」を含む「福岡第二師範学校」の記事については、「福岡第二師範学校」の概要を参照ください。
- 福岡県小倉師範学校のページへのリンク