県境の神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:28 UTC 版)
鎮座地の鷲子山は『常陸国風土記』に常陸国と下野国の国境であったことが記されており、古代から境界の地であった。(風土記には「堺なる大き山」としかなく、鷲子山の名は当時まだなかったようである。)しかし、鷲子山をはさんだ両国はどちらも中世には佐竹氏領、近世には水戸藩領であったため、国境にあっても特段の問題はなかった。なお棟札の記録によれば、天文21年(1552年)には常陸国側の江戸氏と下野国側の武茂氏が協力して本殿を再興しており、それぞれの勢力下にある人々の名も同時に書かれていることから、両者が互いに気を遣っていることが窺える。ただしその次の棟札である元亀2年(1571年)のものには武茂氏方の名しか見当たらず、続く元亀4年(1573年)のものにも武茂氏方のみで、「武茂当社」と書かれていることから、この時は武茂氏の影響力が大きかったようである。 1871年(明治4年)の廃藩置県で下野国側が栃木県の、常陸国側が茨城県の管轄となったため、1つの境内に栃木県側と茨城県側の2つの神社が並立することとなった。この際、従来から宮司を務めていた長倉家は栃木県側の宮司となり、茨城県側は新たな宮司が奉職した。その後、1955年(昭和30年)頃より茨城県側の宮司は鷲子山麓の諏訪神社宮司を務める高部家が兼務することになり、平常時は栃木県側の宮司が神社を維持管理し、茨城県側の宮司は祭礼の時のみ奉仕するようになった。長倉家は明徳3年(1392年)に常陸国の城主家系から分家して鷲子山上神社の宮司になって以来2009年(平成21年)時点で23代目であり、高部家は同年時点で諏訪神社の43代目と長い歴史を持つ社家である。なお、工学者で東京工業大学・長岡技術科学大学名誉教授の長倉繁麿(1926年3月15日 - 2014年12月6日、瑞宝小綬章受章者)は、鷲子山上神社宮司の三男として出生している。 元は1つの神社であるが、宗教法人としての登録は栃木県・茨城県双方にあり、2つの神社ということになっている。(ただし登記はしていない。)鳥居の前には「ここが県境」と書かれた看板が立ち、本殿の中央を県境が貫いている。本殿は栃木県と茨城県のどちらからも県の有形文化財に指定されており、県境の神社で指定を受けた日本初の事例となった。拝殿は茨城県側にあるが、栃木県・茨城県両社の共同所有の形をとる。社名の正式な読みは栃木県側が「とりのこさんしょうじんじゃ」、茨城県側が「とりのこさんじょうじんじゃ」である。本来は栃木県側も茨城県側も「とりのこさんしょうじんじゃ」が正式な読みであったが、1946年(昭和21年)に発足した神社庁に登録手続きをする際に、茨城県側の宮司が誤って「とりのこさんじょうじんじゃ」と記入してしまったため、茨城県側では「とりのこさんじょうじんじゃ」が正式な読みとなった。 社務所は栃木県側と茨城県側でそれぞれ別にあり、参道をはさんで向かい合っている。平常時は栃木県側の宮司のみが常駐し、神社の維持管理を担当する。このため参拝者が納めた賽銭は通常、栃木県側の取り分となり、初詣や例祭の折は栃木県と茨城県で折半する。水は井戸水と水道の併用で栃木県側から引いたものを共有するが、電気や電話は別個に契約している。警察は初詣の際に栃木県警と茨城県警の双方から警察官が派遣されて警備に当たるが、事件等が発生した際にどちらの所轄になるかは実際の出動例がないため不明である。消防は平成初期(1990年代)に出動例があり、栃木・茨城双方から駆けつけて消火活動を行ったという。ごみ収集に関しては、平時は栃木県側が、祭礼時は茨城県側が収集する。 2つに分かれているものの両社の関係は良好であり、宗教上は県境を設けず、共有地として進めていくという方針で話し合われている。例えば2007年(平成19年)に催行された鎮座千二百年祭では両社が協力して神事が円滑に進んだほか、祭りのための寄付金も両社が協力した結果、目標額の2倍以上が寄せられた。この時集まった募金の一部は日本一の大フクロウ像の建設資金に充当された。 テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」で「県境をまたぐ神社」として紹介され、その後日本航空の機内誌でも「カントリーの境にある神社」として取り上げられたことがあり、以降は多くの日本国外からの訪問者がある。 県境の神社としてはほかに群馬県・長野県境にある熊野神社/熊野皇大神社がある。県境に神社があるのは一見珍しく思われるが、神が宿る山頂に神社を建立することはよくあることであり、山頂を県境に定めることも一般的であることから、浅井建爾は県境に神社が建っていることは「考えてみればそれほど不思議がることでもないだろう」としている。それでも大鳥居や本殿の中央を県境が貫き、二等分されている例は珍しい。
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