県境の移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 11:08 UTC 版)
地元の有力企業である山形交通と密接な関係にあった当時の山形営林署は、山形交通に便宜を図るため、山形側に申請した北都観光の申請を繰り返し不受理とした。その一方で、宮城側に申請した山形交通のリフト申請は、山形営林署と白石営林署の介助により難なく承認された。 こうした背景から、後から申請した山形交通のリフトが先に建設されることとなった。しかし、実際のリフトは、申請時の予定地から大きく異なる場所に建設された。すなわち、県境と考えられてきた登山道をリフトが跨っており、申請を行っていないはずの山形側に食い込む形となったのである。 これを発見した北都観光の社員は山形営林署に通報したが、当時の山形営林署長は林班界が明らかでないとして再調査を行った。その結果、これまで登山道と一致するとされてきた林班界は、登山道のはるか北側にある分水界に一致するという見解を示した。これに基づけば、山形交通のリフトは宮城側に収まる一方、北都観光のリフトこそが県境を跨いでいるとして、工事中止命令まで出される事態となった。 この時点で、ようやく県境の未定地問題が明らかになったが、この混乱の中で北都観光のリフト建設が大きく遅延し、山形交通のリフト(山交リフト)が先立って営業開始することとなった。山交リフト営業開始から1年以上経った1964年、ようやく北都観光リフトの申請が通り、営業開始にこぎつけることが出来たが、それまでの間に山交リフトは観光客の囲い込みに成功していたため集客が出来ず、北都観光リフトは開始当初から深刻な営業不振にあえぐことになった。 そのため、北都観光は上山市の行為により営業開始が遅れ、結果多大な損害を被ったとして、同年、上山市など関係機関を相手に4000万円の賠償を求める民事訴訟を行った。また、1965年には当時の山形営林署長が、勝手に県境を移動させたとして、公務員職権乱用罪で起訴された。
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