生い立ちから皇帝即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:47 UTC 版)
「ヘリオガバルス」の記事における「生い立ちから皇帝即位」の解説
「セウェルス朝」を参照 皇帝ヘリオガバルス(ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス)は、元老院議員の父セクストゥス・ウァリウス・マルケルス(英語版)と母ユリア・ソエミアス(英語版)の子として203年にシリアのエメサ(現在のホムス)で生まれた。父マルケルスは騎士階級出身で、のちに元老院入りを果たした人物であり、母方の祖母ユリア・マエサはエメサの町の大祭司[要曖昧さ回避]ユリウス・バッシアヌス(英語版)の娘で、セウェルス朝の開祖セプティミウス・セウェルスの皇妃ユリア・ドムナの姉であった。したがって、彼の母ユリア・ソエミアスはセウェルスの嫡男であるカラカラ帝とは従姉弟の関係にあり、皇帝家の一員であった。幼少期のウァリウス・アウィトゥスは母方一族の生業である神官として養育されたとみられる。「ヘリオガバルス」とは元来エメサ土着の太陽神であった。彼女は長じて太陽神ヘリオガバルス(エル・ガバル)の司祭を務め、のちに、その名をそのまま自分の通称とした。やがて皇帝となるヘリオガバルスは美貌に恵まれていて、とても美しい容姿だった。 残虐な性格で浪費家として知られていたカラカラ帝は共同統治者で弟のゲタ帝と、その一派2万人以上を殺害するなどの暴政によって元老院からの信望を失い、217年4月8日、メソポタミアのハッラーンで暗殺された。カラカラには子どもがなく、新しい皇帝にはクーデターの首謀者であった近衛隊隊長のマルクス・オペッリウス・マクリヌスが即位した。 即位したマクリヌス帝は、北アフリカのマウレタニアの出身で、騎士身分で初めて皇帝位に就いた人物であったが、セウェルス一族を宮殿から一掃することで、セウェルス朝復活の目論見を防ごうとした。それに対し、中東の属州シリアに幽閉されたセウェルス一族のうち、カラカラ帝の伯母ユリア・マエサは自らの孫であるヘリオガバルスを帝位に就ける陰謀をめぐらした。マクリヌス帝は、その子息ディアドゥメニアヌスと共同で統治したが、東方の大国パルティアに敗れて屈辱的な講和を結んだため、軍隊からの信頼を失っていた。 14歳であったウァリウス・アウィトゥス(ヘリオガバルス)は既に先帝カラカラとは女系を通じて親族であったが、未亡人となっていた少年の母ソエミアスは、帝位継承をより正当化しようと、自ら従弟カラカラの妾だったと公言、少年は先帝と密通して生まれたカラカラの落胤であると主張した。これは、少年の祖母にあたる母ユリア・マエサの意向を受けたもので、マエサは自分の娘を姦婦にしてでも孫を帝位に就かせたかったのである。マエサは、軍人に人気のあったカラカラ帝の威光を利用する作戦を採り、つづいてセウェルス家の富を駆使して第3軍団「ガッリカ」の兵士や将軍を買収して自陣営の戦力を調達した。 218年5月16日の夜、少年の一行はエメサに駐屯するローマの軍団に潜入した。それに対し、軍団指揮官のヴァレリウス・エウティキアヌス(英語版)はウァリウス・アウィトゥス少年への忠誠を正式に宣言した。挙兵に際して、ヘリオガバルス少年は「ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス」という従来の名を、カラカラの本名になぞらえて「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」と改名した。 ヘリオガバルスの反乱を知ったマクリヌス帝は直ちに遠征軍を派遣したが、そのなかで軍団兵による内乱が発生した。指揮官は暗殺され、兵士たちは指揮官の首をローマに送り返すと、ヘリオガバルスの軍勢に合流した。オリエント諸州の兵たちは、ヘリオガバルスを支持したのである。 軍の反乱を前にマクリヌス帝はヘリオガバルスを「偽のアントニヌス」と痛罵し、反乱は発狂した神官による暴挙であると記した手紙をローマの元老院に書き送った。元老院はマクリヌス帝の言い分を認めて、軍の意向とは異なり、ヘリオガバルスを僭称帝とする決議を可決した。 元老院の支持を得たマクリヌス帝は自ら軍を率いて親征を開始したが、マエサに買収された第2軍団「パルティカ」の裏切りによってアンティオキアの戦い(英語版)において敗北した。マクリヌスは命からがら戦場から脱してイタリア本土へ戻ろうとしたが、カッパドキアで捕らえられ、斬首の刑に処せられた。同じく捕らえられたマクリヌス帝の子ディドゥメニアヌスも処刑された。 アンティオキアでの勝利をもとに、ヘリオガバルスは元老院の許可なしに皇帝即位を宣言した。これは完全に、ローマ法の定める秩序に違反した行為であったが、3世紀に即位したローマ皇帝にはしばしばみられた行為ではあった。また同時に、ヘリオガバルスはマクリヌス帝の治世を批判し、行為を正当化する手紙を送っている。 結局のところ元老院は、218年の6月、既成事実を追認するかたちでヘリオガバルスの帝位を認め、また、彼女がカラカラ帝の実子であることを承認した。同時に暴君とその母として忌避されていたカラカラとユリア・ドムナを神として祭るという要求も承諾し、逆にマクリヌス帝が「名誉の抹殺」(ダムナティオ・メモリアエ)に処されることになった。また、新しい近衛隊長には反乱の立役者ヴァレリウス・エウティキアヌス(英語版)が任命された。
※この「生い立ちから皇帝即位」の解説は、「ヘリオガバルス」の解説の一部です。
「生い立ちから皇帝即位」を含む「ヘリオガバルス」の記事については、「ヘリオガバルス」の概要を参照ください。
- 生い立ちから皇帝即位のページへのリンク