生い立ちから独ソ戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 05:42 UTC 版)
「ドミトリー・ウスチノフ」の記事における「生い立ちから独ソ戦まで」の解説
1908年10月30日、ロシア帝国サマーラの労働者の家庭に生まれたが、ロシア内戦のために若くして両親を亡くす。1927年11月に共産党に入党し、製紙工場で機械工として働くなど、いくつかの職場を経てレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の軍事機械大学に入学して設計技師の資格を取得する。卒業後はレニングラード市の軍事工場である「ボリシェビーク」に就職し、1937年に同工場の企業長となる。 1941年6月に始まった独ソ戦の直前に、ヨシフ・スターリンにより軍需工業人民委員に抜擢される。ドイツ軍によりレニングラードが包囲された際、ソ連の軍需産業を攻撃から守るため、数週間でウラル地方への軍需産業の疎開を実現した他、兵器の大増産に抜群の事務能力を発揮してソビエト連邦軍の反攻作戦に多大な貢献を果たし、1942年6月、「社会主義労働英雄」と文官ながらソ連軍技師・技手勤務大将の称号を授与された。
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