生い立ちから最初の服役まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 03:01 UTC 版)
「妻木松吉」の記事における「生い立ちから最初の服役まで」の解説
1901年(明治34年)、山梨県甲府市橘町(現・甲府市丸の内)の甲府監獄(現・甲府刑務所)に生まれる。母の妻木たか(本名妻木ウメ)は山梨県西八代郡市川大門町(現・市川三郷町)の野守(非人)の娘で、製紙会社の工員として働いていたが、同僚の河西徳太郎と知り合って同棲するようになり、妊娠8~9ヶ月の頃に窃盗罪で逮捕され、懲役3月の実刑判決を受け、甲府監獄で松吉を私生児として出産した。 松吉が出まれた直後に実父は肺炎で死亡。母は出所後、市川大門町の河川敷の生家に戻り、ここで飴の行商をしながら松吉を育てた(このため、松吉の本籍は母の生家である市川大門町無番地となった)。 1907年(明治40年)数え7歳の時、母が中巨摩郡三恵村加賀美(現・南アルプス市)の野守の近藤米造と結婚。その後母は8人の子をもうけ、生活は極貧であった。1913年(大正2年)加賀美小学校を卒業すると、県内の中巨摩郡田富村(現・中央市)・同郡南湖村(現・南アルプス市)などを転々と奉公に出された。のち山梨化学工業株式会社に勤務したが、1年で退職。大井村(現・南アルプス市)の精乳舎に配達夫として住み込みで勤務したが、この頃から集金をごまかすようになった。スリの現行犯で逮捕され、1920年(大正9年)6月9日には詐欺窃盗横領罪で8か月の懲役を言い渡されて、甲府刑務所で最初の服役生活を送る。
※この「生い立ちから最初の服役まで」の解説は、「妻木松吉」の解説の一部です。
「生い立ちから最初の服役まで」を含む「妻木松吉」の記事については、「妻木松吉」の概要を参照ください。
- 生い立ちから最初の服役までのページへのリンク