最初の服役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:44 UTC 版)
1946年(昭和21年)4月16日夜、山上は岡の親類筋の男ら2人とともに、広島市旭町の旧広島被服廠倉庫に隠退蔵物資を盗みに押し入った。梱包類を運び出し始めたときに警備員の泉に発見され、山上は (結果的に) 泉を拳銃で撃って逃走した。しかし10日後の4月26日警察に自首し、広島刑務所に拘置された。裁判は東洋工業(現:マツダ)の本社工場で行われ、山上は無期懲役の判決を受けて広島刑務所に服役した。山上は服役中に短歌の創作に没頭し、9月21日ごろから45日に渡る断食を行った。11月4日に栄養失調による重症状態に陥り、刑の執行が停止され広島赤十字病院に入院した。その後刑務所病舎に移され、吉島の刑務所で岡が引き取り柳橋の自宅兼岡組事務所へ連れて帰った。同日中に意識を回復して食事を取り、10日ほどで京橋川畔まで歩いていける状態になった。
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