最初の旅路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 17:23 UTC 版)
「ジョージ・フォックス」の記事における「最初の旅路」の解説
このため、精神的苦痛と混乱を抱えつつ、ドレイトン=イン=ザ=クレイを1643年9月に離れた。バーネットに滞在中、フォックスは自室に何日も閉じこもったり、はたまた一人で田園風景の中を散策したり、といったことを繰り返した。非常に熱心にイエスが砂漠で悪魔の誘惑を受けたときのことを考えており、イエスを自分自身の精神的な状態に例えたが、神が自分を支え、保護するであろうという信念から力を得ていた。折々に様々な宗教学者の関心を惹きつけたが、そうした学者を拒絶した。なぜなら、彼らが教えている教義に自ら沿っているとは感じられなかったからである。 フォックスは聖職者仲間を精力的に捜し求めたが、「彼らから安らぎを得られなかった」という。というのは、フォックスが悩んでいる数々の問題に対してあまりにも能力不足に思われたからである。ウスターシャーのある牧師は、煙草(フォックスは煙草をひどく嫌っていた)をやるように、そして、賛美歌を歌うように勧めた。また修道院の別の牧師は、最初は協力的だったが、フォックスがたまたまその牧師の庭にある花の一つを踏みつけたところ、腹を立ててしまった。さらに別の牧師は、殺戮が「病める魂」を治療するのだと示唆した。 1644年6月、失望と落胆の中で故郷に戻った。しかし、そこでもまた手助けしてくれる者は見つからなかった。フォックスの家族や友人たちは、困難を解決する方法として、結婚や軍隊への入隊という道を提案したのである。間もなくもう一度旅に出なければならない、しかも今度は、いずれ遭遇することになる宗教の姿に近づくための探求の旅にしなければならないのだと決心した。フォックスは承服できない事柄に対して、そこから退却するのではなく、それに対して挑戦するのだと心を決めた。
※この「最初の旅路」の解説は、「ジョージ・フォックス」の解説の一部です。
「最初の旅路」を含む「ジョージ・フォックス」の記事については、「ジョージ・フォックス」の概要を参照ください。
- 最初の旅路のページへのリンク