最初の来訪者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 00:46 UTC 版)
「デスヴァレー国立公園」の記事における「最初の来訪者」の解説
現在のデスバレー国立公園地域に白色人種が最初に足を踏み入れたのは、カリフォルニア州で発生したゴールドラッシュがきっかけであった。1849年12月、およそ100台の荷馬車とともにカリフォルニア州ゴールド郡へと向かっていた2組の白色人種のグループが、オールド・スパニッシュ・トレイルへ近道をしようとして道に迷い、巨大な谷に入り込んでしまった。後にベネット・アーケイン移民団と呼ばれた彼らは数週間もの間、この谷から脱出する道を見つけることができず、生き残るために数頭の牛を食べることを余儀なくされたが、この谷に数多く存在する泉から飲用水を確保することはできた。 彼らは荷馬車を捨て、起伏の激しい「ウィンゲート・パス」を通ることでようやく、この巨大な谷を脱出することができた。言い伝えによると、この谷から脱出した直後、一団の中の一人が「グッバイ・デスバレー(Goodbye Death Valley; 死の谷よ、さようなら)」と言ったとされており、これがデスバレーという名前の由来とされている(実際にこの一団の中にいたカルバーウェルという名の初老の男性一名がデスバレーで命を落としているが、この男性はデスバレーに迷い込む前から極度の疲労状態であった)。その後、この一団のメンバーであったウィリアム・ルイス・マンリーが自叙伝『Death Valley in '49』でこの旅の詳細を述べたことにより、この地域に関する情報は大衆へ広まった(地質学者たちはその後、有史以前にデスバレーを満たしていた湖に対して「マンリー湖」という名を付けた)。
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