最初の東ローマ帝国遠征
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「イーゴリ1世」の記事における「最初の東ローマ帝国遠征」の解説
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は8世紀から11世紀まで発展を続け、11世紀前半には最盛期に至る。イスラム教徒からクレタ島を奪い返し(961年)、国民の文化水準は高く、農民のなかの豊かな者は重装備騎兵として活躍した。帝国で生産される絹織物は周辺民族の憧れの的であり、彼らはその絹を政治的に存分に利用した。941年、その東ローマ帝国に向かい、イーゴリは遠征した。『原初年代記』によると、1万人のルーシ軍が陸路と水路を通って黒海沿岸のヴィフィニヤで戦端を開いた。黒海に沿って、イラクリヤやパブラゴニヤ、ニコメディヤの地を征服していった。イーゴリらは数々の港に火を放ち、捕虜を残酷に殺した。教会や、修道院や村落にも火をかけて略奪した。『図説蛮族の歴史』によると、当時、東ローマ軍は東部属州に遠征中、海軍の大半も地中海や黒海を巡航中であり、帝国の首都・コンスタンティノープルは守りが手薄な状態だった。だが迎える東ローマ側は残された15隻の老朽船を修理して出撃した。『原初年代記』によると、そのあと、東方からルーシ軍を倒すため、ギリシアの戦士たちがきて、ルーシ軍を包囲した。彼らとルーシ軍のあいだに、激しい戦闘が起き、ギリシア人たちが勝利した。ルーシは船に乗って逃走した。フェオファンが大船を連ねて、ルーシの船に向けて管から火を発射しだした。ギリシアの火である。ルーシ人は火炎を見て狼狽して海水に飛び込んだ。生き残りのルーシ人は家に帰ると、ギリシャの火について故国の人々に語った(en:Rus'–Byzantine War (941))。イーゴリは再びギリシアに遠征するため、戦士を集め始めた。
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