最初の東ローマ帝国遠征とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 最初の東ローマ帝国遠征の意味・解説 

最初の東ローマ帝国遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:23 UTC 版)

イーゴリ1世」の記事における「最初の東ローマ帝国遠征」の解説

東ローマ帝国ビザンティン帝国)は8世紀から11世紀まで発展続け11世紀前半には最盛期に至る。イスラム教徒からクレタ島奪い返し961年)、国民文化水準高く農民のなかの豊かな者は重装備騎兵として活躍した帝国生産される絹織物周辺民族憧れの的であり、彼らはその絹を政治的に存分に利用した941年、その東ローマ帝国向かいイーゴリ遠征した。『原初年代記』によると、1万人のルーシ軍が陸路水路通って黒海沿岸のヴィフィニヤで戦端開いた黒海沿って、イラクリヤやパブラゴニヤ、ニコメディヤの地を征服していった。イーゴリらは数々の港に火を放ち捕虜残酷に殺した教会や、修道院村落にも火をかけて略奪した。『図説蛮族歴史』によると、当時東ローマ軍東部属州遠征中、海軍大半地中海黒海巡航中であり、帝国首都コンスタンティノープル守り手薄な状態だった。だが迎え東ローマ側は残され15隻の老朽船を修理して出撃した。『原初年代記』によると、そのあと東方からルーシ軍を倒すため、ギリシア戦士たちがきて、ルーシ軍を包囲した。彼らとルーシ軍のあいだに、激し戦闘起きギリシア人たちが勝利したルーシは船に乗って逃走したフェオファン大船連ねてルーシの船に向けて管から火を発射しだした。ギリシアの火である。ルーシ人火炎見て狼狽して海水飛び込んだ生き残りルーシ人家に帰ると、ギリシャの火について故国人々語ったen:Rus'–Byzantine War (941))。イーゴリは再びギリシア遠征するため、戦士集め始めた

※この「最初の東ローマ帝国遠征」の解説は、「イーゴリ1世」の解説の一部です。
「最初の東ローマ帝国遠征」を含む「イーゴリ1世」の記事については、「イーゴリ1世」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「最初の東ローマ帝国遠征」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「最初の東ローマ帝国遠征」の関連用語

最初の東ローマ帝国遠征のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



最初の東ローマ帝国遠征のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイーゴリ1世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS