最初の時代劇映画とは? わかりやすく解説

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最初の時代劇映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)

時代劇」の記事における「最初の時代劇映画」の解説

初め時代劇呼ばれた映画は、『本能寺合戦』から14年後の1922年大正11年)に松竹蒲田撮影所製作された『清水の次郎長』の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画始まりであるとされている。監督野村芳亭野村芳太郎監督の父)でこの映画脚本書いた伊藤大輔それまで旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「新時代劇」と名付け公開した。ゆえに「時代劇という呼称松竹蒲田撮影所製作され映画冠されたものである」、とされている。 ただ岩本憲児著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年大正11年)から1923年大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。そして簡略化して「時代劇」が定着していったという。

※この「最初の時代劇映画」の解説は、「時代劇」の解説の一部です。
「最初の時代劇映画」を含む「時代劇」の記事については、「時代劇」の概要を参照ください。

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