マルケルス
マルケッルス
(マルケルス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/08 15:19 UTC 版)
マルケッルス (Marcellus) は、古代ローマの家族名。プレブス系のクラウディウス氏族に属した名家で、「マルケッルス」は軍神マルスに由来する。「ll」の表記は促音で表記せず無視されることも多いためマルケルスとも書かれる。
第二次ポエニ戦争の将軍で「ローマの剣」と称されたマルクス・クラウディウス・マルケッルスが著名である。またこのマルケッルスがシチリア島を征服したため、この島の第一のパトロヌスとして知られていた。
以降名門として多くの元老院議員を輩出したが、アウグストゥスの婿となったマルクス・クラウディウス・マルケッルスの若死をもって断絶した。
マルケルス家の人物としては以下などがいる。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 紀元前331年の執政官(コンスル)で、初めてマルケッルスのコグノーメン(家族名)を持ったとされている。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 紀元前287年の執政官。1.の息子。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 「ローマの剣」として知られる第二次ポエニ戦争時の将軍。おそらく2.の孫。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 3.の息子で紀元前196年の執政官、またケンソルとなった。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 3.の息子で4.の兄弟。紀元前183年の執政官。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 4.の息子。紀元前166年、155年、152年と三度の執政官。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 6.のひ孫。紀元前51年の執政官。
- ガイウス・クラウディウス・マルケッルス・マヨル - 7.の兄弟。紀元前49年のコンスル。
- ガイウス・クラウディウス・マルケッルス・ミノル - 7.と8.の従兄弟でアウグストゥスの姉小オクタウィアの最初の夫。紀元前50年のコンスル。
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス - 9.の息子。アウグストゥスの娘ユリアの婿でアウグストゥスの後継者候補。
後に2人のローマ教皇がこの名を名乗っている。
関連項目
![]() |
このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 |
マルケルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 22:01 UTC 版)
ローマ軍司令官。かつて「ローマの剣」と異名をとった英雄。半ば引退していたが、カルタゴの攻勢によって再び戦場へ赴く。アルキメデスの兵器が猛威を振るい、苦戦する。実在の人物。ただし彼の「ローマの剣」という異名は、史実ではハンニバルに対して積極果敢に挑んだ事によってついた綽名であり、半ば引退した老将が現役復帰したかのような描写は創作である。
※この「マルケルス」の解説は、「ヘウレーカ」の解説の一部です。
「マルケルス」を含む「ヘウレーカ」の記事については、「ヘウレーカ」の概要を参照ください。
- マルケルスのページへのリンク