生い立ちから軍人就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 05:28 UTC 版)
「ジアウル・ラフマン」の記事における「生い立ちから軍人就任まで」の解説
ジアウル・ラフマンは1936年1月29日、英領インドのベンガル州ボグラ地区ガブタリに生まれた。1946年、カルカッタの是非学校に入学した。1947年の独立の際に大移動が起こった時、パキスタンのシンド州にあるパキスタンの最初の首都であるカラチへ家族と一緒に移住した。 1953年、大学に入学し、同年には士官候補生としてカクルのパキスタン陸軍士官学校に入学した。1955年に陸軍士官学校を卒業し、クラスの上位10%でパキスタン陸軍の少尉として任命された。カラチで2年間在職している途中、1957年東ベンガル連隊に移動1959年〜1964年の間に軍事情報部の部門で働いた。1960年に当時15歳だったカレダ・ジアと婚約し、1965年カラチで結婚した。 1965年の第2次印パ戦争当時、300〜500人程度の部隊を指揮しており、1966年から、パキスタン軍士官学校の教官に任命された。しかし、東ベンガルで在職中の1970年11月に起こったボーラ・サイクロンの被害に対するパキスタン政府の杜撰な対応から、ヤヒヤー・ハーン大統領の独裁体制に対して徐々に反感を抱き始めていく。
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