特急列車の乗り入れの再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:43 UTC 版)
「かもめ (列車)」の記事における「特急列車の乗り入れの再開」の解説
1961年10月1日国鉄ダイヤ改正実施時の編成図表・編・話・歴・PJR・PJRN・C かもめ ← 長崎・宮崎 京都 → キハ80系特急編成図(2編成併結)編成長崎駅発着編成 宮崎駅発着編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 座席二 一 食 二 二 二 二 一 食 二 二 二 形式キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82 凡例 一:一等車(1969年よりグリーン車)、二:二等車(1969年より普通車)、食:食堂車 長崎駅発着編成:(向日町運転所配置) 宮崎駅発着編成:(向日町運転所配置) 京都駅 - 小倉駅間で併結運転。 ^ “西九州新幹線「かもめ」が長崎の港に陸揚げ 今秋暫定開業へ性能など確認”. 日刊スポーツ (2022年1月9日). 2022年1月9日閲覧。 ^ “九州新幹線長崎ルート 列車名は「かもめ」に 特急の名を継承”. 毎日新聞 (毎日新聞). (2020年10月28日). https://mainichi.jp/articles/20201028/k00/00m/040/170000c 2020年10月28日閲覧。 ^ “2022年9月23日ダイヤ改正 西九州新幹線が開業します 在来線各線区でダイヤを見直します” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 九州旅客鉄道, (2022年6月10日), オリジナルの2022年6月10日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20220610082713/https://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/news/newtopics/__icsFiles/afieldfile/2022/06/10/220610_september_23rd.pdf 2022年6月10日閲覧。 ^ 座席車は全席座席指定席 1957年(昭和32年)6月5日:同日博多発より「かもめ」の三等車をスハ44系客車から「軽量客車」の10系客車に変更。博多駅方でのデルタ線による編成の回転がしづらいことなどからの採用であったが、急行列車と共通するボックスシートを三等車に用いざるを得なかった。このため、走行区間では海が見える区間より山中を走る区間が多いことや、「つばめ」「はと」と比べ見劣りする編成内容から「『かもめ』でなく『からす』だ」と揶揄(やゆ)されたこともあった。なお、座席が特急用車両の水準に満たなかったのみならず、三等車には冷房も搭載されていなかったが、この当時は、冷房のないおよび座席が特急用車両の水準に満たない車両でも、特急料金を割引く規定が存在していなかったため、通常の特急料金のままであった(冷房がない場合、および座席が特急用車両の水準に満たない場合の割引制度が制定されたのは1961年10月1日以降)。 10月1日:同年7月に東京駅 - 博多駅間で運行を開始した臨時寝台特急列車「さちかぜ」を長崎駅発着に延長。長崎本線に再び特急列車が乗り入れる。 1958年(昭和33年)10月1日:「さちかぜ」を「平和」(へいわ)に名称を変更。 1959年(昭和34年)7月:「平和」を「さくら」に名称を変更。同時に「さくら」には20系客車が導入される。 9月22日:405・406列車に「ふたば」の名称が与えられる。 1960年(昭和35年)5月1日:以下のように運行体系が変更される。長崎本線肥前鹿島駅経由の気動車による準急列車「ながさき」が新設される。この列車は、佐世保線佐世保駅発着の準急列車「弓張」を肥前山口駅で分割運転を行うこととなった。 「ながさき」・「弓張」の補助列車として博多駅 - 長崎駅間を大村線経由で運行する準急列車「出島(でじま)」運行開始。 「ふたば」の運行区間を広島駅 - 博多駅間に短縮。以降は山陽本線優等列車沿革を参照されたい。 9月1日:「ながさき」の上り1本に島原鉄道島原鉄道線加津佐発の列車を設定する。 1961年(昭和36年)9月1日:「ながさき」が島原鉄道線よりの乗り入れを拡大。下り1本が加津佐発長崎行き、博多駅 - 南島原駅間1往復(ただし、上りは加津佐発)となる。 10月1日:サンロクトオのダイヤ改正に伴い、以下のように運行体系が変更される。 従来京都駅 - 博多駅間の特急「かもめ」の使用車両を特急形気動車であるキハ80系気動車に変更のうえ、運行区間を京都駅 - 長崎駅・日豊本線経由宮崎駅間に変更。 「ながさき」1往復増発し、1往復を門司港駅発着に変更。 熊本駅 - 長崎駅間を佐賀線経由で運行する準急列車「ちくご」を運行開始。 1962年(昭和37年)9月10日:「ながさき」の門司港駅発着の1往復を小倉駅発着に変更。 1963年(昭和38年)6月1日:「出島」の運行区間を肥前鹿島駅経由広島駅 - 長崎駅間に変更。同時に急行列車に昇格。ただし、広島駅 - 小倉駅間を別府駅発着の「べっぷ」と併結運転。 1964年(昭和39年)3月20日:「出島」の運行区間を呉線呉駅 - 長崎駅間に変更し、全区間単独運転となる。 4月10日:久大本線経由で別府駅 - 長崎駅・佐世保駅間を運行する急行列車「西九州(にしきゅうしゅう)」を運行開始。 10月1日:「西九州」の長崎駅発着編成に臨時増結車両として博多駅発着編成を連結開始。
※この「特急列車の乗り入れの再開」の解説は、「かもめ (列車)」の解説の一部です。
「特急列車の乗り入れの再開」を含む「かもめ (列車)」の記事については、「かもめ (列車)」の概要を参照ください。
- 特急列車の乗り入れの再開のページへのリンク