渋谷や周辺部での暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 09:08 UTC 版)
「渋谷暴動事件」の記事における「渋谷や周辺部での暴動」の解説
14日午後2時5分頃、中核派は京王線上北沢駅の上北沢駅前交番、同線仙川駅、井の頭線神泉駅を火炎瓶で襲った。 渋谷では宮下公園の集会・デモ申請が不許可となり、大盾を構えた機動隊員や私服警官らによる厳戒態勢がとられていたが、中核派の学生らはスーツ姿で群衆に紛れ込んでこれをかわし、渋谷駅周辺の喫茶店などに集結、午後3時頃から突如白ヘルメットを被って機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶などで襲撃した。 渋谷区神山町の神山派出所周辺では関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)27人が警備に当たっていたが、中核派の学生ら約150人が一斉に火炎瓶を投げてこれに襲いかかった。襲撃を受けた小隊は火炎瓶の炎を浴びた隊員が転げまわり、その火を同僚が消火器でようやく消し止めるという状態であり、一時後退を余儀なくされた。ガス筒発射器(ガス銃)を装備した隊員2人が小隊の最後尾に留まり、後退を支援しようとした。うち1人は所持していた3発のガス弾を撃ち尽くしてから脇道を走って逃れることができたが、もう1人のN巡査(21歳)は「殺せ! 殺せ!」と叫ぶ中核派に取り囲まれ、鉄パイプで乱打されて失神状態に陥った。中核派はさらにN巡査にガソリンをかけた上で「投げろ!」という号令を合図に火炎瓶を次々と投擲した。立ち上がった火柱の高さは、5メートルにもなったという。 この時の状況を犯人の一人は次のように述べた。 あの日、部隊長は、鉄砲(ガス銃のこと)を持った機動隊員が我々学生に捕まるや、『殺せ! 殺せ!』と叫び続けた。私は、「よし殺してやろう」と思い、近づくと、機動隊員は、米屋のシャッターに押し付けられ、数人の学生に鉄パイプで乱打されている最中で、間もなく、膝がガクッとしたかと思うと崩れるようにうずくまってしまった。部隊長は、機動隊員を道路中央まで引きずり出し、うつぶせにした機動隊員の上に馬乗りになり、さらに『殺せ!殺せ!』と叫び、機動隊員の襟をつかみ、肩口から火炎びんの油を注ぎ始めた。機動隊員の背中はみるみる油漬けになっていく。部隊長の『早く殺せ!』との命令で、自分はついに機動隊員の頭部をめがけて火炎びんを投げつけた。あっという間もなく、機動隊員は火だるまになってしまった。 体勢を立て直した隊員らが戻ると、N巡査は真っ黒になってうずくまっていた。顔の識別が難しいほどの全身火傷を負ったN巡査は15日21時25分、死亡が確認された。 船と特急を乗り継いで急遽佐渡島から上京したN巡査の父は、「日本は法治国家です。学生の暴力を取り締まる警察のつとめをNは立派に果たしたと思っています。言論は自由だが、こういう暴力は絶対に許せない」「Nは無口な子でした。しかし、警察官を選ぶときは、はっきり私にいいました。それだけに…」と語った。身体の一部が炭化するほど激しく損傷していたため、母親には対面させられなかった。現場道路のアスファルトは変色しており、火勢の凄まじさを物語っていた。 中核派はN巡査の他にも、新潟県警機動隊員3人に同様の暴力を繰り返し、全治2週間から治癒期間不明の熱傷等の重症を負わせた。 活動家には女性も居り、犯行後マスクと軍手を外し、Gパンを脱ぎ捨て下に履いていたミニスカートで逃走するなど、捜査が及ばないように予め周到な準備を行っていた。 中核派は『前進』で次のように報じた。 三百五十の正規軍は、かん声をあげて突撃した。数十発の火炎ビンが鋭い轟音をあげて炸裂。パッパッと赤い炎が機動隊を包み、富沢小隊はわれ先に逃げ出した。機動隊が見捨てた神山町交番は、数発の火炎ビンで、一瞬のうちに炎に包まれ、全焼した。機動隊は盾を捨て、炎を背につけたまま先を争うように、渋谷方向に逃げようとした。勝負は決まった。正規軍は機動隊に追いつき、再度火炎ビンを集中し、多数を火ダルマにした。 ガス銃をふりまわし、民家に飛び込んで逃げようとする機動隊員を情容しゃなく道路中央に引きずり出し、転倒した機動隊を正規軍は積年のうらみを込めて、泥靴で踏みつぶし十数発の火炎ビンをぶち込んだ。遂にやった! われわれの同志を殺し続けてきた権力の番犬を、しかもあの憎むべきガス銃の射手をせん滅したのだ。 粉砕した機動隊を無慈悲に踏みつけ、ツバを吐きかけて、正規軍は威風堂々と渋谷へ向かった。 — 「代々木八幡軍、渋谷へ突入 敵一個小隊を火の海に」『前進』、1971年11月22日(一部省略)。 やりきれない思いを抱くN巡査の兄は弔問に訪れた警察庁長官後藤田正晴に対し「誰が悪かったのでしょう」「弟を虫けらのように扱った学生は許せない。でも、学生の暴徒化は予想できたはず。どこかで折り合いをつけられなかったのか」と尋ねた。N巡査は焼死で殉職後、2階級特進し警部補となった(以降、N警部補と表記)。
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