海峡_(映画)とは? わかりやすく解説

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海峡 (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 22:43 UTC 版)

海峡
監督 森谷司郎
脚本 井手俊郎・森谷司郎
原作 岩川隆
製作 田中友幸
森岡道夫
田中寿一
森谷司郎
出演者 高倉健
吉永小百合
三浦友和
大谷直子
森繁久彌[1]
音楽 南こうせつ
主題歌 友ありて(詞・阿木燿子/曲・歌・南こうせつ)
撮影 木村大作
編集 池田美千子
製作会社 東宝映画
配給 東宝株式会社
公開 1982年10月16日
上映時間 142分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 9.6億円[2]
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海峡』(かいきょう)は、1982年10月16日公開の日本映画[1][3][4][5][6]。『南十字星』『ひめゆりの塔』『幻の湖』とともに[7]東宝創立五十周年記念作品[1][7]

日本沈没』(1973年)、『八甲田山』(1977年)、『動乱』(1980年)の森谷司郎監督が、青函連絡船洞爺丸事故から約30年にわたり青函トンネルの工事に執念を燃やす国鉄技師らの物語を描いた[8]

概要

高倉健吉永小百合森繁久彌三浦友和など、東宝創立50周年に相応しい豪華な出演陣を揃え、全国的な新人オーディションを行い、約6,000人の中から中川勝彦、約12,000人の中から青木峡子の2人が選ばれた。また、南こうせつが初めて本格的な映画音楽に取り組んだ。文部省特選。

映画のラストでは作業員達がトンネル貫通に湧くシーンが描かれたが、実際の先進導坑貫通は本作公開の翌年1983年、本坑全貫通は1985年である。

あらすじ

地質学を修めた鉄道員、阿久津剛は青函トンネルを実現するために、地質調査のため龍飛にやって来た。そんな折、岸壁から身を投げようとしていた女・多恵を救い、行きつけの居酒屋の経営者に預けた。 再び生きる気持ちを取り戻した多恵は、阿久津に淡い思慕の情を向け始める。国鉄の人事によって阿久津が明石転勤になり、当時の国鉄総裁の方針などで、なかなか計画の進まない時も訪れる。

だが、総裁交代により、計画も俄に進み始め、阿久津も龍飛に戻ってきた。そして、調査坑を掘るトンネル屋たちも集まってくる。寒い所は嫌だと渋る、老齢だが腕利きのトンネル屋・源助も「10万年前に、マンモスが歩いて渡った道をもう一度作る」と説得され、参加を決断する。しかし、工員の死亡事故、度重なる出水などで作業は困難を極め、月に5メートルしか進まない状況で、源助ともぶつかる日々。そうこうしながら、調査坑である斜坑の底に到達してしばらくする頃に、国鉄のトンネル計画は、正式に認可され、本坑の工事にも多くの民間企業が参加して、なお工事は進む。

ねぶた祭若者がうかれている頃、阿久津に父の危篤の知らせが届く。帰郷の準備をしていた阿久津のもとに、かつて無い大量の出水の知らせ。先進導坑が、ポンプの排水力限度を超えて、みるみるで埋まっていく。阿久津は、ある決断をする。

スタッフ

出演者

本作の主人公で、阿久津の27歳から53歳までの27年間が描かれる[9]岡山県出身だが岡山弁は話さない。海賊に憧れ、江田島海軍兵学校に入学するも4カ月で終戦京都帝国大学では地質を研究、卒業後は国鉄に入社し、改札係などに従事。明石海峡大橋建設の発令で郷里に近い地に戻ったことから迷いのあった佳代子(大谷直子)と結婚[10]。一児・修(中川勝彦)をもうける[10]。青函トンネル建設の本決定で、再び念願の青函トンネル建設に戻り、以降は家庭を顧みず、同プロジェクトに人生をかける[1][8][9]。洞爺丸台風の時一人の少年・成瀬仙太を助ける。ラストは「陸」に上がるのを拒み、スペインのジブラルタル海峡の建設に携わる。
福井の旅館で自分のミスから火事で11人の客を焼死させてしまう。責任を感じ、竜飛岬で自殺をしようとしたところを阿久津たちに助けられる[10]。自身の過去はそれ以外は劇中では語られない。以後、おれんの店で働くようになる。阿久津に惹かれ[10]、阿久津の妻が実家へ帰っている時には部屋の掃除などをしてあげている。ラストでおれんが北海道に移住するときは、一生竜飛岬で暮らすことを宣言する。
青函トンネル第一期工員募集に応募してきた函館工業高校土木科卒の青年。留萌出身。成績は良いが欠席が多く、ケンカ早い。実は洞爺丸台風の時、両親を失い江藤に育てられた生き残り孤児[8][9]。その時の傷が額に残る。青函トンネル悲願の象徴のような存在[9]。最後、先進導坑開通の発破をまかせられる。ラストでは峡子、おれんと共に北海道へ渡る。
阿久津の婚約者でのち結婚をする。一度竜飛岬へ子と共に引っ越すが、あまりの環境に岡山へ帰ってしまう。時々阿久津の元を訪れる。最後は、東京で仕事をする決意をするが、阿久津と離婚するかどうかはまだ決めていない。
竜飛岬ちかくの飲み屋の女将。夫が東京で地下鉄工事をしているらしいが、青函トンネル建設決定で、帰郷が期待されたが、最後まで劇中には登場しない。自殺しようとした多恵を引き取る。
  • 峡子:青木峡子
おれんの子で、阿久津が名付け親で「海峡」から名を取った。仙太のことが好きだが、小学校の先生になることが夢。先生になれたのか、仙太と結婚したのかは劇中明言されていない。ラストはおれん、仙太とともに北海道へ渡る。
阿久津が竜飛岬へ来たばかりのころ面倒をみてくれている。阿久津と共に多恵を助ける。
北海道側の現場責任者で阿久津の親友。
妻と子供三人と共に竜飛岬へ渡るが、丸太を担いでいる時に崖から落ちて殉職する。
青函トンネル内の事故で死去する。
両親を亡くした仙太の後見人。
阿久津の長男。阿久津の元を離れ母親に育てられる。
阿久津の若い時の上司。阿久津が青森からの異動で明石海峡調査を拒んだときに「数年して帰ればいい。違う世界を見て持ち駒を増やした方がいい」と説得する。
阿久津の実父。小さい頃は船乗りとなって世界中を旅するのが夢だった。妻と長男には先立たれている。青函トンネル異常湧水の日に死去する。
西表島から樺太満州関門など、日本中のトンネルや石炭を掘ってきた技術屋[8]九州の男で九州方言を話す。親不知隧道を最後に引退しようとするが、阿久津に懇願されて、満州で妻を亡くし、子を弔った鴨緑江から真っすぐ東へ辿ると津軽海峡だと伝えられ[9]、津軽を骨を埋める場所と定めて参加を決意[9]、郎党と一緒に津軽へ来る。大量の海水の流れ込みで「この海の底はマンモスにしか渡れねぇんで。わしら人間には無理だ」叫ぶ[1]。青函トンネル異常湧水の時死去する。

主題歌

製作

企画

企画は森谷司郎監督[9][11]。森谷が1975年に『八甲田山』のロケハン津軽半島を訪れ、本州の最北端はどんなところなのかと竜飛岬へ足を向けた[11]。そこで太宰治の『津軽』の一節「この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ」が浮かんだ[11]。その道のないところに、海の底を掘って道を作った男たちがいる。「なぜそんな苦しい工事をしているのか。それは洞爺丸事故が引き金になっている。もっと遡れば何があるんだろう」「そんな道をつけている親子三代のホームドラマがやれないか」と考えた[11]。『八甲田山』が終わったら、彼らのロマンを、また男たちを支えた女たちのロマンを映画ならではのホームドラマとして描いてみたいと構想した[11]。人間の歩いた跡に道はできる、という意味でタイトルは『道』でもいいと考えていた[11]。自身はおだやかな岡山県で青春時代を送ったため、厳しい自然を志向していたという[11]

脚本

岩川隆の原作の映画化ではなく[9]、岩川の原作と井手俊郎・森谷司郎の脚本は同時進行[9]。井手は大病後の復帰作[9]。岸田源助(森繁久彌)、阿久津剛(高倉健)、成瀬仙太(三浦友和)の三世代の代表というべき人物に4人の女性が絡む構成[9]

撮影

津軽海峡ロケは1980年夏と1981年冬に、それぞれ1カ月間行われた[1]。高倉健、森繁久彌、三浦友和、吉永小百合は本州突端、津軽海峡の岸壁に建つ青森県竜飛崎温泉「ホテル竜飛」に宿泊[1]。当時5歳で、2025年にホテル竜飛社長・杣谷徹也は撮影後の宿舎で高倉によく遊んでもらったという[1]。森繁久彌は、いつも5人の付き人を連れて来て、3日間ほどの滞在でまとめ撮りをした[1]。高倉から「一番広い部屋は森繁さんへ」の要請があったが、森繁が「君(高倉)が主役なんだから、君が格上でいいんだよ」と言ったという[1]

噴き出す海水の量に前へ進めなくなり、一旦撤収する。これをどう克服したのか説明はなく先まで進む。

ロケ地

青森県東京都丸の内旧国鉄本社ビル東京駅。阿久津剛の実家設定は岡山だが、撮影は神奈川県葉山町で行われた[12]

興行予想

キネマ旬報』は「男のドラマの臭いが強すぎて(前年大ヒットした)『駅 STATION』のようにはいかない」と興行を予想した[7]

作品の評価

興行成績

批評家評

  • シティロード』は「基本的には掘って掘ってまた掘っての世界と、開通時の感動シーンしか設定し得ない展開だけに、そのへんをどう展開したかですが…?」などと評している[14]
  • プレイガイドジャーナル』は「『幻の湖』『海峡』はそれぞれ大作としての弊害をもろに露呈してしまったようで、東宝創立五十周年記念作というには作品の出来はイマイチでガッカリ。高倉健、吉永小百合の無言のラブシーンがいいだけに『海峡』の失敗は惜しまれる」などと評している[15]
  • 山根貞男は「どうしようもなく凡庸な大作」などと評した[16]

受賞歴

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 山崎まゆみ「俺はね、無口なんかじゃないよ」高倉健が温泉宿で見せた意外すぎる素顔」『ダイヤモンド・オンラインダイヤモンド社、2024年9月7日。2025年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月2日閲覧
  2. ^ 「1982年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報1983年昭和58年)2月下旬号、キネマ旬報社、1983年、118頁。 
  3. ^ a b c d e 海峡 - 国立映画アーカイブ
  4. ^ 海峡プレミアムシネマ
  5. ^ 海峡WOWOW
  6. ^ 海峡ぴあ
  7. ^ a b c 高橋英一、西沢正史、脇田巧彦、黒井和男「1981年度決算『映画・トピック・ジャーナル 』ワイド 82年邦画界の展望を語る」『キネマ旬報』1982年2月下旬号、キネマ旬報社、207–208頁。 
  8. ^ a b c d 海峡BS日テレ]
  9. ^ a b c d e f g h i j k 日本シナリオ作家協会編「1982年概観 海峡 文・鬼頭麟兵」『年鑑代表シナリオ集'82』ダヴィッド社、1983年、320,332–334頁。 
  10. ^ a b c d 海峡BS10スターチャンネル
  11. ^ a b c d e f g 鈴木伸夫「特集/日本映画の大作主義 『八甲田山』と映画監督 森谷司郎 森谷司郎監督の発言」『キネマ旬報』1992年11月上旬号、キネマ旬報社、112頁。 
  12. ^ 逗子・葉山版 銀幕のスター、葉山に足跡 故・高倉健さん 映画「海峡」で”. タウンニュース. タウンニュース社 (2015年4月10日). 2015年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月2日閲覧。
  13. ^ a b c d 「日本映画界"83"の展望 松竹・東宝・東映・にっかつの抱負と経営戦略」『映画時報』1983年1月号、映画時報社、10–11頁。 
  14. ^ 「邦画封切情報『海峡』(東宝)」『シティロード』1982年10月号、エコー企画、29頁。 
  15. ^ 高橋聰「映画よ、お前はどこへ行くのか… 洋画・邦画82年の総括と83年の展望 深作・舛田のベテラン・パワー活性化した日本映画」『プレイガイドジャーナル』1982年12月号、プレイガイドジャーナル社、102–103頁。 
  16. ^ 山根貞男「シネマメッタ斬り! 『海峡』」『噂の眞相』1982年12月号、噂の眞相、53頁。 

外部リンク


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