流動食から普通の食事へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 03:08 UTC 版)
初期の宇宙食は「喉に食べ物がつまるのではないか」との不安から、チューブに入ったものやトレイに充填されたペースト状のものが多く、離乳食に近いものでもあったため、宇宙飛行士からの評判も悪かった。その後、ヒトは無重量状態でも問題なく食べ物を飲み込め、消化できることがわかり、現在の宇宙食は種類も豊富になり、その種類は1000種ほどもある。 ソビエト・ヴォストーク1号(1961年4月12日):人類初の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは、地球を一周する間に、アルミニウムのチューブに入った牛肉と肝臓のペースト、同様の形式でデザートのチョコレートソースを食した。 ソビエト・ヴォストーク2号(1961年):ゲルマン・チトフ飛行士が宇宙空間で初めて宇宙酔いを経験して嘔吐した。その後、宇宙食の栄養素などが考えられる契機となった アメリカ・マーキュリー時代(1962年頃): 一口サイズの固形食、チューブに入ったペースト状のもの。アメリカ初のジョン・ハーシェル・グレン飛行士はアップルソースを歯磨き粉のようなチューブから食した。 アメリカ・ジェミニ時代:乾燥食品、中程度の水分を含んだ食品、一口サイズの固形食の三種類。宇宙競争によって滞在時間が長時間にわたると、連続で宇宙食を摂らざるを得ない状況になり、この不満からジョン・ヤングは無断でジェミニ3号にコンビーフサンドイッチを持ち込んだ。多額の国税をつぎ込んだ宇宙計画を、機器の汚損や食中毒により危機に陥れる可能性があるこの行為は当然、問題となったが、食事が士気に影響するという主張は認められ、以後の宇宙食の改善につながった。 ソビエト・サリュート: 新鮮な果物・野菜を貨物として供給した。 アメリカ・アポロ時代: お湯が使用されるようになり、食品を水で戻して暖かい食事が可能となった。 10日間に及ぶ月飛行のための船内食は……七面鳥とグレービーのパック、スパゲッティ・ミート・ソース、チキン・スープ、チキン・サラダ、豆のスープ、ツナ・サラダ、スクランブルド・エッグ、コーン・フレーク、サンドイッチ・スプレッド、チョコレート・バー、モモ、ナシ、アプリコット、ベーコン角切り、ソーセージ・パテ、オレンジ・ドリンク、シナモン・トースト、ブラウニー、その他。それぞれのパックはマジック・テープで止めてあり、そのテープは各搭乗員の分を示す色別のコードになっていた。 — ジム・ラベル、ジェフリー・クルーガー (河合裕訳)、『アポロ13』 アメリカ・スカイラブ時代:半数は加水食品で、他に温度安定化食品、自然形態食品、フリーズドライ(凍結乾燥)食品、放射線照射食品が提供された。ナイフ、フォーク、スプーンを使うようになった。ただし食器などが浮遊してしまうと具合が悪いことから、各食品のパックやトレイ・食器などはトレイやテーブルにベルクロテープで貼り付けておくことができるようになっている。 ソビエト・ミール時代 : 400日以上に渡る長期宇宙滞在に耐えるための食品開発が進んだ。宇宙でも飲めるようにパッケージングされたウォッカまで用意されていた。 スペースシャトル・国際宇宙ステーション以降:一部の市販食品、自然形態食、新鮮食品(新鮮な果物や野菜)も提供されるようになり、食事の形態はだいぶ地上の生活に近いものとなっている。国際協力により国際宇宙ステーションが運営されることから、各国の宇宙機関で開発した宇宙食が持ち込まれるようになった。日本人宇宙飛行士がスペースシャトルに搭乗する際には、日本料理も搭載される。搭載される料理が、実際に公募で選ばれたこともあった(詳細は後述)。アメリカ・ロシア以外では、ESAが開発したフランス料理 (アヒル・チキン・マグロ・メカジキ・ニンジン・セロリ・アンズ・リンゴなど、缶詰の形態)などがある。 JAXAに所属する宇宙飛行士の若田光一によれば、2014年2月現在、自身が初めて宇宙に行った1996年と比べると、宇宙食の種類はかなり増え、味も工夫されたものが多くなったとのこと。 宇宙食のアメニティ性がどんなに進歩しても、宇宙でテーブルについて温かい食事を摂ることは、しばらくはままならない。このためアメリカ航空宇宙局では、打ち上げ直前に隔離された部屋で、最後の食事をテーブルで楽しんでもらうという儀式(伝統)も、カウントダウンの作業に含まれている。アポロ計画のころからの習慣のようだが、現在のスペースシャトル計画でも、これは引き継がれている[要出典]。
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