流動的下層労働者こそ真のプロレタリアートである
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「船本洲治」の記事における「流動的下層労働者こそ真のプロレタリアートである」の解説
船本は流動的下層労働者(日雇い労働者など)こそが真のプロレタリアートであり、革命の主体であるとし、(社会党や共産党などの)社民勢力が指導する市民階層(組織労働者、本雇工など)は下層労働者との分断を呼び、その市民主義的利益追求のため日本帝国主義の「新植民地主義」をもたらすものであると主張した。 船本によると現代日本帝国主義の支配下のもと、労働者階級は組織労働者(上層、市民的、定着的)と寄せ場の労働者を代表とする未組織労働者(下層、非市民的、流動的)に分断されているとする。 流動的とは、元釜共闘の風間竜次が船本の言葉を引用しながらその考えを要約するところでは それまで地域的、固定的にとらえられ、山谷労働者、釜ヶ崎労働者とされてきた労働者群は、資本の要請によって売られ歩く自由な賃金奴隷として大都市の一部にプールされ、そこから全国に配置、流動させられる存在としてある。資本の「発展」を保証するものとして「山谷・釜ヶ崎は姿を変え、形を変えて全国至るところに存在しており、たとえば大阪製鋼、日立造船等の大工場の周辺には必ず下請会社の看板をさげた飯場が存在し、そこに農民やら、また釜ヶ崎等の寄せ場から下層労働者がかき集められ、社外工として工場に入ったり出たりしている」そうした「流動的下層労働者こそ実体的基幹産業労働者であって、企業に利益をもたらすための餌食となっている」存在で彼らの巨大な中継地点こそ、山谷・釜ヶ崎なのだ。 —風間竜次「決起40周年記念 船本洲治」日本寄せ場学会編集『寄せ場』27号、2015年7月、p.140 現代の資本主義社会は組織労働者階級を含む市民階級を形成し、プロレタリアートの階級支配に対する欲求不満を緩和し、市民秩序を維持するために、組織労働者に家族、妻、ある程度の財産をもたせ、一人一票の選挙制度で政治に参加した気分にさせ、社員持ち株制などで資本家の気分にさせ、家や車などを与えて豊かな文化生活を送っているような気分にさせる。そして組織労働者が己が置かれた状況に満足するためにも、より不幸な人々が必要である。 しかし流動的下層労働者は組織労働者に与えられているようなものを与えられていない。流動的下層労働者の多くは家族を解体され、財産を所有していない。資本主義社会は(下層を含む)すべての労働者に市民秩序を維持できるものを与えることが出来ないのである。 何故なら、日本資本主義は大都市の一部に、資本の要請によって売られ売られ歩く「自由」な賃金奴隷を総体としてプールしておくことによって発展してきたからであり、「市民社会」の秩序とは、まさしく、これら下層労働者を搾取し、収奪しぬくことによって保証されているのである。(中略) (資本主義)制度は「家族」を通して、就職等の種々の便宜をはかり、資本家秩序にくくりつけようとする。資本家秩序に叛くものに対して、その内実はともかく、温かい団欒が、朝の暖かい味噌汁とご飯が、どんなに大切な「オアシス」であったかを思い知らせようとする。しかしその反面、制度はある階級に対して「家族」を解体させることに拍車をかける。 —船本洲治『黙って野たれ死ぬな』2018年、pp.82-86 そして 社・共(日本社会党・日本共産党)という社民が指導する帝国主義的労働運動の内実は(中略)人民に対する分断支配の一つの様式であり、支配と被支配の階級関係を転覆せんとするプロレタリアート・人民の闘争を、その自然発生性のゆえに、帝国主義市民秩序に包摂し吸収するための安全弁であること、(中略)組織労働者の帝国主義的市民主義的利益のあくなき追求は、日本帝国主義をして「新植民地主義」への傾斜をひたすら強制し、事実、そういうものとして機能してきたことである。 —船本洲治『黙って野たれ死ぬな』2018年、p.270 船本は寄せ場の労働者は既成左翼の言うところのルンペン・プロリアートではない。未組織下層労働者が階級闘争を主導するならば、それは革命闘争に転化せざるを得ないとし、 (未組織下層労働者こそ)マルクスの言う、「資本主義制度からひきおこされる諸結果に対し、部分的に対立する領域ではなく、資本主義制度の前提そのものに対し、全面的に対立する領域」現状維持ではなく現状打破以外生き残る術のない〈暴力的人間〉現体制の続く限り〈身も心も破滅する以外ない人間〉だからであり、この闘争は「ラディカルであるということは根本をつかみ取る」闘争、すなわち革命闘争以外ありえない。 —船本洲治『黙って野たれ死ぬな』2018年、pp.239-240 としている。
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