津久井やまゆり園採用後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:09 UTC 版)
「相模原障害者施設殺傷事件」の記事における「津久井やまゆり園採用後」の解説
植松は教員免許を取得して大学卒業後、当初目指していた教師にはならず運送会社に就職して11月までの半年間ほど従事した後、2012年12月1日付で「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用され、翌2013年4月1日から常勤職員として採用されると 後述のように退職した2016年2月まで勤務していた。 植松は2012年8月、施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の就職説明会に参加し、「明るく意欲があり、伸びしろがある」という判断で採用された。働き始めた当初は知人らに対し「障害者はかわいい」「今の仕事は天職」などと話していたが、採用後には「施設入居者への暴行・暴言」など勤務態度に問題があったため、何度も指導・面接を受けていたほか、刺青を入れる・業務外の問題行動も散見された。植松は2015年6月ごろから尊敬していた彫り師に弟子入りして本格的に彫り師修業を始めていたが、同年末ごろに「障害者を皆殺しにすべきだ」と発言するなどの異常な言動が見られたことから、彫り師から「ドラッグを使用している可能性が濃厚だ」と判断され破門された。また、2015年6月28日未明には八王子駅付近の路上で面識のない通行人から「死ね」などと言われたことに腹を立て、ともに行動していた友人と2人で通行人に暴行を加え怪我を負わせる事件を起こし、同年12月に八王子警察署から傷害容疑で書類送検された。 植松は2016年2月頃に「ニュー・ジャパン・オーダー(新日本秩序)」と題して「障害者殺害」「医療大麻の解禁」「暴力団を日本の軍隊として採用」などの計画を記した文章を書き記していたほか、同級生に対して「革命」という言葉を繰り返し使っていたが、同月中旬頃に衆議院議長公邸を訪れて衆議院議長の大島理森に宛てた『犯行予告』とされる内容の手紙を職員に手渡した。 「津久井やまゆり園」と同県厚木市内の障害者施設の2施設を 標的として名指しした。 具体的な手口として「職員の少ない夜勤に決行する。職員には致命傷を負わせず結束バンドで拘束して身動きや外部との連絡を取れなくし、2つの園260名を抹殺してから自首する。日本と世界平和のためにいつでも作戦を実行するつもりだ」などの内容が記されていたほか、要求として「『逮捕後は心神喪失で無罪として2年以内に釈放し、5億円の金銭を支援し自由な人生を送らせる。新しい名前として“伊黒崇”を与え整形手術をさせる』などの条件を国から確約してほしい」という記述もあった。 また、同月には当時内閣総理大臣の安倍晋三宛ての手紙を自由民主党本部にも持参していた。 事件を受けて7月26日には衆議院事務総長・向大野新治が記者会見し、手紙を受け取った経緯などを説明した。それによると、植松は2月14日午後3時25分頃に議長公邸を訪れ、書簡を渡したいと申し出たが受け入れられず、土下座をするなどしたため、警備の警察官が職務質問したところそのまま立ち去った。その後、男性は翌日午前10時20分ごろに再訪し、正門前に座り込むなどしたため、衆議院側で対応を協議して午後0時半ごろに手紙を受け取ると、ようやくその場を立ち去った。手紙に犯罪を予告するような内容があったため、衆議院の事務局が警察に通報し手紙を提出。向大野は「すぐに大島議長の指示をあおいで警察に連絡しており、適切な対応だったと考えている」と述べた。この手紙について、警視庁は同15日中に津久井署に情報を提供した。 2016年(平成28年)2月16日、津久井警察署員が来園し、総務部長が対応した。津久井警察署員は、被疑者が衆議院議長に渡した手紙の内容を伝え、被疑者への対応を話しただけで、手紙そのものを見せなかった。この点について、津久井やまゆり園事件検証委員会は『津久井やまゆり園事件検証報告書(平成28年11月25日)』で、「ただし、手紙を見せた方が園の危機意識はより大きなものになったのではないかとは推察される。(12頁)」と述べている。また、津久井やまゆり園は、津久井警察署から情報提供を受けたのに、神奈川県に伝えなかった。この点について、『津久井やまゆり園事件検証報告書(平成28年11月25日)』は、「ただし、手紙の発覚から4日後に被疑者が退職したこと、また措置入院となったことで共同会は県への報告は不要と判断しているが、県の施設の指定管理者としては、施設の利用者に危害が及ぶ可能性があるという情報を津久井警察署から伝えられた時点で、県に報告をしておくことが望ましかった。(12頁)」と述べている。 植松は2016年2月17日、LINEで同級生らに「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」などと自説を展開するメッセージを一斉送信し、その後直接電話をかけた同級生には犯行への加担を要求した。その際には反論した友人を「お前から殺してやる」と脅したばかりか 激怒した友人から「ふざけるな」と殴られても考えを改めなかった。
※この「津久井やまゆり園採用後」の解説は、「相模原障害者施設殺傷事件」の解説の一部です。
「津久井やまゆり園採用後」を含む「相模原障害者施設殺傷事件」の記事については、「相模原障害者施設殺傷事件」の概要を参照ください。
- 津久井やまゆり園採用後のページへのリンク