死期
『今昔物語集』巻15-24 極楽寺の聖人は、千日講が始まった時、「その終了する日に死ぬだろう」と予言して、そのとおりに往生した。
『今昔物語集』巻15-28 餌取の法師浄尊は、「数年後の某月某日に死ぬ」と予言して、そのとおりに往生した。
『沙石集』巻10末-13 上野国の行仙房は、弘安元年(1278)に入滅した。その前年から彼は、明年死ぬだろうこと、病気になる日、入滅の日までを、日記に書いて箱に入れておいた。弟子はこれを知らなかったが、行仙房の没後に日記を開くと、すべて実際のとおりだった。
『発心集』巻2-6 楽西聖人の草庵の前の池に、毎年多くの蓮の花が咲いた。ある年の夏、少しも咲かなかったのを、聖人は「今年は我が死すべき年。私の行く極楽に咲こうとして、ここには咲かぬのだ」と言い、言葉どおりその年に死去した。
『西京雑記』巻4 嵩真は算術にひいでており、「自分の寿命は73歳で、綏和元年(B.C.8)正月25日の申の刻に死ぬ」と計算し、そのことを壁に書きつけておいた。ところが彼は、予言した日より1日早く、24日に死んだ。彼の妻は、「計算の時に夫が誤って算木を1本多く加えたのを、私は見ました。それで1日のずれが生じたのでしょう」と言った。
★1c.釈迦如来入滅の日である二月十五日に死にたい、と願う。
『古今著聞集』巻13「哀傷」第21・通巻465話 西行法師は生前、釈迦如来御入滅の日に死にたいと願い、「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」という歌を詠んだ。その願いどおり、彼は建久3年(1198)2月15日に往生した〔*実際には、1日遅れの2月16日に死去した、と言われる〕。
★1d.聖徳太子薨去の日である二月五日に死ぬだろう、と予言する。
『日本書紀』巻22〔第33代〕推古天皇29年(A.D.621)2月 2月5日、厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと=聖徳太子)が斑鳩宮に薨去した。かつて聖徳太子に仏法を教えた高麗僧慧慈は悲しみ、「私は来年の2月5日に必ず死ぬだろう」と予言して、まさしくその日に死去した。
『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の3 禅源寺の住職の総崎さんは、自分の死ぬ日を予告し(*→〔寿命〕2d)、1週間前に、全国にいる弟子たちに「キトク・・・」という電報を打った。弟子たちが寺へ来てみると、総崎さんは水を汲んだり薪を割ったり、元気に仕事をしていた。死ぬ当日には、寺総代や村の役員を集めて膳についてもらい、別れの挨拶をした。仏前でお経をあげ、最後のカネをチーンと叩いて、総崎さんはすわったまま大往生した(高知県土佐清水市上の加江村)。
『今昔物語集』巻7-30 下野国の僧蔵縁は、長年にわたって地蔵菩薩を信仰し、「私は、地蔵の縁日である、月の24日に極楽往生するだろう」と常々言っていた。蔵縁は90歳になっても壮健であったが、延喜2年(902)8月24日、多くの饗膳を調えて遠近の男女を招き、「皆さんに対面するのは今日限りだ」と告げた。宴が果て、人々が半信半疑で帰って行った後、蔵縁は地蔵堂に入り、掌を合わせて額に当て、すわったまま死んだ。
『酉陽雑俎』巻5-226 ある日、僧・一行(673~727)が、師僧・普寂のもとを訪れ、耳に口を寄せて密談する。普寂はうなずいて、「さしつかえありません」と言う。話が終わって礼をし、礼が終わってさらに話をし、それが3回繰り返される。普寂は「さよう、さよう、さしつかえありません」とだけ言う。一行は階(きざはし)を降り、南の室に入って自ら扉を閉ざす。普寂は弟子に、「鐘をつかせなさい。一行和尚が滅度された」と告げる。左右の者がいそいで見に行くと、その言葉どおりだった。
『百年の孤独』(ガルシア=マルケス) 女の死神が老処女アマランタを訪れ、「お前は、経帷子を織り上げる日の暮れ方に、苦痛なく息絶えるだろう」と告げる。アマランタは4年かけて丁寧に経帷子を織り、完成の日の朝に家族および町中の人々に自分の死を予告して、夕刻に死んだ。
『保元物語』上「法皇熊野御参詣並びに御託宣の事」~「法皇崩御の事」 久寿2年(1155)冬、鳥羽法皇は熊野権現へ参詣し、現世および来世安穏の祈請をした。すると権現の神霊が巫女(かんなぎ)に降り、「法皇は明年秋に崩御、と定まっている。その後、世は乱れるであろう」と託宣した。翌保元元年(1156)、春夏の頃から鳥羽法皇は病気になり、7月2日に54歳で亡くなった。
『人はなんで生きるか』(トルストイ) 旦那が上等の革を持って靴屋の親方の家を訪れ、「この革で、長持ちする長靴を作れ」と注文する。職人のミハイルが引き受けるが、旦那が帰った後、ミハイルは革を切ってスリッパを作ったので、親方は驚く。それからまもなく、下男が来て、「旦那が急死した。長靴は取りやめ、遺体にはかせるスリッパを作ってくれ」と言った〔*ミハイルは、長靴を注文する旦那の後ろに、死の天使の姿を見たのだった〕。
『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「無縁塔の怪」 越後蒲原郡の某寺では、住持の死期が到来すると、近くの川辺に、誰が持って来るわけでもないのに、石の墓じるしが1つできる。これを無縁塔と言い慣わし、この石塔が出現すれば、近いうちに必ず住持は死ぬ。この運命を逃れようと思う僧は、寺を逐電すれば、死を免れることができる(『譚海』巻10)。
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