歴代君主一覧
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本来のホールファグレ朝: ハーラル1世ホールファグレ(美髪ないし金髪王) (Harald Hårfagre: 890年頃 – 930年頃) エイリーク1世血斧王 (Eirik Blodøks : 930年頃–934年) ホーコン1世善王(Håkon den Gode : 934年–961年) ハーラル2世灰衣王(Harald Gråfell: 961年–976年) ヴィーガ系: オーラヴ1世トリグヴァソン : 995年–1000年 ヴェストフォルド系、聖オーラヴ朝の開始: 聖オーラヴ2世ハラルズソン(Olav Digre / Sankt Olav / Olav den Hellige : 1015年–1028年) マグヌス1世善王 (Magnus den Gode : 1035年–1047年) シュル朝: ハーラル3世苛烈王 (Harald Hardråde: 1046年–1066年) マグヌス2世(1066年–1069年) オーラヴ3世平和(平静)王 (Olav Kyrre : 1066年–1093年) ホーコン・マグヌスソン (1093年–1094年) マグヌス3世裸足王 (Magnus Berrføtt: 1093–1103) オーラヴ・マグヌソン (1103年–1115年) エイステイン1世 (Øystein Magnusson : 1103年–1123年) シグル1世十字軍王 (Sigurd Jorsalfare : 1103年–1130年) マグヌス4世盲目王 (Magnus Blinde: 1130年–1135年)シグル狂気王(1135年–1139年、対立王) マグヌス5世エーリングソン (1161年–1184年)オーラヴ・ウゲーヴァ(1166年–1169年、対立王) シグル・マグヌソン(1193年–1194年、対立王) インゲ・マグヌソン(1196年–1202年、対立王) エーリング・ステインベグ(1204年–1207年、対立王) ギーレ朝: ハーラル4世ギーレ(1130年–1136年) シグル2世 (1136年–1155年) エイステイン2世ハーラルソン (Øystein Haraldsson : 1142年–1157年) インゲ1世隆起王 (Inge Krokrygg: 1136年–1161年) ホーコン2世肩広王 (Håkon Herdebreid: 1157年–1162年)シグル・マルクスフォスター (1162年–1163年、対立王) エイステイン・メイヤー (Øystein Møyla : 1174年–1177年、対立王) ヨハン・クヴルング(1185年–1188年、対立王) インゲ2世ボールソン (Inge Bårdsson : 1204年–1217年) フィリップス・シモンソンとスクル・バルドソンをホールファグレ朝の系統に安易に位置付けることは出来ない。両人のホールファグレ朝の初期王との関係はその異兄弟であった。 スヴェレ朝: スヴェレ・シグルツソン(Sverre Sigurdsson : 1177年–1202年) ホーコン3世スヴェレソン(Håkon Sverreson : 1202年–1204年) グッドルム・シグルツソン (1204年) スヴェレ朝庶流: ホーコン4世ホーコンソン老王 (Håkon IV Håkonsson : 1217年–1263年)ホーコン・ホーコンソン若王と共同統治 マグヌス6世ホーコンソン改法王 (Magnus Lagabøte : 1263年–1280年) エイリーク2世マグヌソン (1280年–1299年) ホーコン5世マグヌソン (1299年–1319年)
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歴代君主一覧
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ムハンマド1世(Muhammed I ibn Nasr、1232-1273) ムハンマド2世(Muhammed II al-Faqih、1273-1302) ムハンマド3世(Muhammed III、1302-1309) ナスル(Nasr、1309-1314) イスマーイール1世(Ismail I、1314-1325) ムハンマド4世(Muhammed IV、1325-1333) ユースフ1世(Yusuf I、1333-1354) ムハンマド5世(英語版)(Muhammed V、1354-1359, 復位1362-1391) イスマーイール2世(Ismail II、1359-1360) ムハンマド6世(英語版)(Muhammed VI、1360-1362) ユースフ2世(Yusuf II、1391-1392) ムハンマド7世(Muhammed VII、1392-1408) ユースフ3世(英語版)(Yusuf III、1408-1417) ムハンマド8世(英語版)(Muhammed VIII、1417-1419, 復位1427-1430) ムハンマド9世(英語版)(Muhammed IX、1419-1427, 復位1430-1431, 再復位1432-1445, 再々復位1447-1453) ユースフ4世(英語版)(Yusuf IV、1431-1432) ユースフ5世(英語版)(Yusuf V、1445-1446) イスマーイール3世(Ismail III、1446-1447) ムハンマド10世(英語版)(Muhammed XI、1453-1454, 復位1455) サード(Said、1454-1455, 復位1455-1462, 再復位1462-64) イスマーイール4世?(Ismail IV、1462) アブルハサン・アリー(Abu l-Hasan Ali、1464-1482, 復位1483-1485) ムハンマド11世(ボアブディル) (1482-1483、 復位1487-1492) (従来ムハンマド12世(ボアブディル)とされてきた。) ムハンマド12世(ザガル)(英語版) (1485-1487) (従来ムハンマド13世(ザガル)とされてきた。) 君主一覧は、『スペイン史 1:古代-近世』 関哲行、立石博高、中塚次郎編、山川出版社、<世界歴史大系>、2008年、付録、pp.82-83. ISBN 978-4-634-46204-5 による。
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歴代君主一覧
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「スペイン・ブルボン朝」の記事における「歴代君主一覧」の解説
フェリペ5世(1700年 - 1724年、1724年 - 1746年) ルイス1世(1724年) フェルナンド6世(1746年 - 1759年) カルロス3世(1759年 - 1788年) カルロス4世(1788年 - 1808年) フェルナンド7世(1808年、1813年 - 1833年)1808年から1813年までホセ1世(ジョゼフ・ボナパルト)が在位。 イサベル2世(1833年 - 1868年)1868年から1870年まで空位(フランシスコ・セラーノが摂政となった)。 1870年から1873年までアマデオ1世(イタリア王家の分家・サヴォイア=アオスタ家の当主アオスタ公アメデーオ。カルロス3世玄孫)が在位。 1873年から1875年まで第一共和政。 アルフォンソ12世(1875年 - 1885年) アルフォンソ13世(1886年 - 1931年)アルフォンソ13世はアルフォンソ12世の死後に生まれ、誕生と同時に即位した。その間は空位。 1931年に革命前夜の状況に直面して家族を連れて国外に逃亡した。スペイン第二共和政はじまる。 1939年にスペイン内戦が終結しフランコ政権が成立。1975年まで存続。 バルセロナ伯フアン1941年に父アルフォンソ13世が死去し、スペイン王家の家長となる。 フランコとの政治的立場の違いから帰国を拒まれ、国王に即位することはできなかった。 息子フアン・カルロスの即位を受けて、1977年に正式に王位請求権を放棄した。 長寿を全うしたのち、フアン・カルロスのはからいで国王としての格式で埋葬されている。墓碑には「フアン3世」と刻まれている。 フアン・カルロス1世(1975年 - 2014年)父とは引き離され、フランコを摂政とする「スペイン王国」の王位継承者として育てられた。フランコ死後、王位を継承すると、フランコ体制を漫然と継承するとの大方の予想を裏切って、主導的に民主化路線に舵を切った。 フランコ体制に幕を引いた、いわば建国の父として敬愛されたが、晩年は王室スキャンダルの続発で国民の信望を失い、退位に追いこまれた。 フェリペ6世(2014年 - )
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