概要・概略史とは? わかりやすく解説

概要・概略史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 20:40 UTC 版)

瀬戸焼」の記事における「概要・概略史」の解説

古墳時代中期末(5世紀後半)現在の愛知県猿投地区尾張東部から西三河西部)に日本三大古窯一つとされる埴輪須恵器窯である「猿投古窯群」が誕生した猿投窯は、奈良時代日本初人工施釉陶器灰釉陶器)を生産して高級食器として流通し窯業一大生産地となった考古学研究では、10世紀後半猿投窯から周辺地域への窯場拡散起こりこれに伴い瀬戸市南部の幡山丘陵でも広久手30号窯や南山窯などでの灰釉陶器生産開始されたことが判明しており、これが「瀬戸窯」の成立とされる。しかし、平安時代後半11世紀末から製品粗略化し灰釉陶器から無釉の日用雑器山茶碗生産へとシフトしていく。 伝承では 鎌倉時代13世紀中頃加藤四郎景正が、宋(中国)から施釉陶器技法伝えたのが瀬戸焼創始といわれるが、施釉陶器産出する瀬戸窯灰釉陶器窯)はこれ以前成立しており、景正の実在を疑う説もある。ただし、鎌倉時代初頭12世紀末)の瀬戸窯では、灰釉鉄釉などの施釉陶器生産再開するという事象も考古学研究により明らかとなっており(古瀬戸様式成立)、伝承モデルとなった人物出来事存在した可能性一概に否定できないともされている。古瀬戸様式器種中国から輸入される磁器模倣したものが多く代用品として生産・流通したと見られる鎌倉時代製品には優美な印花文や画花文を施したものが多い。 室町時代末頃までは古瀬戸よばれる室町時代に入ると、皿や鉢といった日用雑器生産多くなる次第生産拠点美濃に移る。 桃山時代から、黄瀬戸瀬戸黒志野織部などの茶器茶の湯隆盛伴って多く焼かれ日用雑器作られるうになる江戸時代初期元和2年1616年)に徳川家康死去して駿府城にあった遺品徳川将軍家御三家分配された。そのうち尾張徳川家受け取った分の目録駿府御分物之内色々御道具帳』(徳川黎明会)には、既に「瀬戸」と「古瀬戸」の語の使い分け見える。こんにちでいう「古瀬戸」とは指し示す範囲異なるものの小堀政一遠州)『茶人次第』(水戸徳川家伝来)にも「古瀬戸」の語がみえ、近世初期には「瀬戸」と「古瀬戸」の使い分け広がっていることが確認できる江戸時代には肥前有田中心に始まった有田焼総称される磁器により次第市場奪われ衰退する文化年間1804年 - 1818年加藤民吉親子肥前国有田から染付磁器製法伝えたことから磁器製造始まり、後に磁器主流となる。以降、「染付焼」(瀬戸染付)は「新製焼」、旧来の陶器は「本業焼」と呼ばれた明治時代には輸出用美麗陶磁器作られ、「瀬戸素地」に絵付けだけ東京横浜行われることもあった。

※この「概要・概略史」の解説は、「瀬戸焼」の解説の一部です。
「概要・概略史」を含む「瀬戸焼」の記事については、「瀬戸焼」の概要を参照ください。

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