書籍内容
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「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」の記事における「書籍内容」の解説
第1巻(1998年7月10日刊行) 大東亜戦争(太平洋戦争)を巡る歴史観を独自の視点で取り上げた。発行した時期にあっては、日本では従軍慰安婦問題や南京大虐殺論争、さらには歴史教科書問題などを巡って、右翼勢力と左翼勢力が激しく争っていた。小林は当時、新しい歴史教科書をつくる会の幹事の一人であり、第1巻は「つくる会」の教科書をアシストする意図も大きかった。ただし、当初の「つくる会」は藤岡信勝の自由主義史観(司馬史観)であり、日清・日露までの戦争を肯定し、太平洋戦争は間違っていたとする思想だったため、渡部昇一などの「右翼」とされる論者は招かれず、西部邁・福田和也に「なぜ大東亜戦争肯定論者を、「つくる会」は呼ばないのか」と批判される状態であったが、小林は「つくる会」が外した論者にも独自に会い、当時の「つくる会」とは異なる「大東亜戦争肯定論」に至り、「つくる会」自体も大東亜戦争肯定論に至る形となった。 この巻にあっては、小林は大東亜戦争までと、その後の日本人の価値観の断絶についてを主題とした。戦前に見られる愛国心と武力行使を戦後の日本人が極端に否定したために、日本人が大東亜戦争について否定的な認識しかできなくなっており、愛国心の下、国や家族を守るために勇敢に戦った兵士たちの精神やアジア解放の理念のもとにあった戦争であったことを忘れてはいけないと強く主張した。 第2巻(2001年10月1日刊行) 2巻は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の影響を色濃く受けている。ここで小林はアルカーイダのテロに対して“その手があったか”と驚いて見せ、反米テロを理解するとしながらも、「国家という枠組みを維持するためにテロは否定する」としている。そして、そのテロが起きた原因となった社会的・民族的な背景から決して目をそらしてはならないとしている。 第3巻(2003年7月25日刊行) 完結篇と称しているように、1巻と2巻の総括的内容であり、戦争における理念と道義性の重要性を新しい知見を加えつつ繰り返し主張し、大東亜戦争の肯定的観点の見直しや、イラク戦争におけるアメリカの軍事行動を「横暴である」と批判を行うと共に、妄信的な親米主義を非難している。この巻では、特別攻撃隊について「特攻は統率の外道」と語った大西瀧治郎中将の自決を描くと共に、富永軍司令官のように「特攻隊を置き去りにして逃亡した卑怯者」も取り上げ、それでも特攻隊員の「精神」はいくら悲劇を暴いても否定できないと主張している。
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書籍内容
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2001年に24歳で四国八十八箇所の札所・栄福寺(愛媛県今治市)の住職になった白川が、自らが「寺の子」として漠然と将来を考えながらも思春期における反抗期を伴いながら進路に悩み、結果として高野山大学の文学部密教学科に進むことを決意して入学し、独特の学生時代を過ごすとともに、同大学の卒業後に凡夫の生活を知るために書店員として働く(これ自体は先代の住職であった白川の祖父も若い頃に教職についていた事があるため、そう珍しい事ではない)も、祖父の遷化によって慌ただしく準備不足のままで寺を継ぎ、その運営や地域・同業者たち周辺業種らの人々との間で四苦八苦しながらもなんとかやっていく様を、自身の個人的視点や考え方をも交えてユーモラスに描いた作品。著者の職業らしく、所々に仏典や弘法大師の言葉よりの引用を挟み、自らの日常における様々な出来事と考え方を描いている。
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