書籍出版業組合による独占
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 05:45 UTC 版)
「著作権の歴史」の記事における「書籍出版業組合による独占」の解説
書籍出版業組合とはロンドンにおける書籍出版に関係する業種により構成されたギルドである。ギルド自体は印刷機発明前から存在していたが、1557年、イギリスの支配者であるメアリ1世は、この組合に印刷の独占権を与えた。この独占権を与えた背景には、大きくわけ2つの学説が存在する。政治的、宗教的思惑があったという学説と、書籍出版業組合による経済的利益が原因と言うものである。前者は、当時、プロテスタントによる宗教改革が迫っており、国内における反政府的な文章を統制するため、ギルドへの独占権を与えたというものである。後者は、当時の資料にギルド側からの独占権の宣願がされているという形跡があるためというものである。このどちらも決定的な証拠というものがあるわけではないが、他の独占権と比較して非常に短い期間で、独占権が成立しており、支配者側とギルド側の両方の思惑が一致した結果であると推測される。 このギルドが手に入れた独占権は、ギルドのメンバーのみが印刷技術を扱うことができ、そのギルドの長や監督官が禁止された本の捜索、押収、焚書を行うことができ、許可を受けていない印刷物を保有している人物を投獄できるという警察権に保有していた。異端的、煽動的な本の出版を避ける役割を務める代わり、ギルドのメンバーは印刷業の独占による、経済的利益を受けていた。1557年から1641年まで、イギリスの王室は、印刷と書籍出版業組合に対して、星室庁を通して権限を行使した。1641年の星室庁の廃止後、イギリスの国会議員は、1643年から1692年の間にいくつかの法令とライセンス法を通して、書籍出版業組合の検閲や独占の規定を拡大し続けた。 この組合が印刷を独占している間、組合内部では構成員の間での論争を扱う独自のシステムを発達させた。基本的には、ギルドの構成員は自分が取り扱う作品に対して永久の独占権を保有した。どの構成員がどの作品に対して権利を主張しているかを記録する方法として、ギルドはギルドホールにある登記本に著作権を記録する手段を提供した。ギルドの構成員は著者から原稿を購入することができたが、著者はギルドの構成員になることはできず、原稿の購入後、使用料や追加の支払いが行われることは無かった。しかし、著作者から権利を譲られるという概念は存在しており、著作者から権利を受けた正版と権利を受けていない偽版があった場合、偽版が先に登録されていても、正版に登録が修正された事例が複数存在していた。構成員は、特定の作品に対する権利をお互いの間で売買することができた。1662年のライセンス法は、検閲官によるチェックが行われた後、出版者は作品が変更されないように、ギルドへその複写を預ける必要があった。この書籍出版業組合のシステムの多くの点が、後の現代の著作権法に取り込まれることになった。 この時期に発生した、イギリス内乱は、王室による独占権の乱用に対抗するという側面も存在した。この内乱後、1694年に最後のライセンス法が廃止され、書籍出版業組合の独占権はなくなった。これにより、英国国内では、従来の独占権で保護された高い書物でなく、他の地域で印刷された安い書物の流入が生じた。これに対し、既得権益を再獲得するため、書籍出版業組合や、コンガー(本の販売業者のシンジケート)のメンバーによる議員への陳情が行われ、数年後に最初の近代的著作権の法律が制定された。これが1710年のアン法である。
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