書籍出版業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 16:31 UTC 版)
「ジョン・ウォルター (出版業者)」の記事における「書籍出版業」の解説
ウォルターは破産にあたって新しい仕事を探すことになり、まずは政府とのパイプを利用して官職を求めたが、同1782年にノース内閣が崩壊したため失敗に終わった。続いてヘンリー・ジョンソン(Henry Johnson)が1778年と1780年の2度にわたって出願・取得したタイポグラフィに関する特許を購入した。この特許は(未入力の)宝くじの印刷用に発明されたものであり、活版印刷に使われる活字をアルファベット1文字ごとではなく1単語ごとにすることで誤植を減らすという内容だった。そして、破産の原因となった債務の整理が終わると、1784年6月1日にジョンソンとともにブラックフライアーズで「ロゴグラフィック・プレス」(Logographic Press)という印刷所を開き、ジョンソンの特許を書籍印刷の転用した。ウォルターはジョンソンの特許が大きな利益をもたらすと信じており、1785年に科学技術産業振興協会の会員に選出されるとジョンソンからもたらされた技術を協会に紹介し、協会の会報第3巻の印刷を任せられた。同年に『ロイズ・リスト』(Lloyd's List、海運に関する新聞)を印刷するようになり、1787年に関税局(customs office)指定出版社になった。それ以外にもダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(2巻、八折り判)、ジャック・ネッケルの『財政報告書(英語版)』の英語訳(3巻、八折り判)、フランシス・ベーコンの『ヘンリー七世王史(英語版)』(八折り判)などを出版し、1789年にウエスト・エンドで書店を開業したが、いずれも大した利益を上げられず、1792年には書籍出版から撤退した。書籍出版が失敗した理由として、ウォルター自身は1799年に初代ケンヨン男爵ロイド・ケンヨン(英語版)宛てに書いた手紙でパトロンの欠如とジャーニーマンからの反発を挙げ、オックスフォード英国人名事典はウォルターの出版物での誤植が多いとの批判を挙げている。
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