トーマス・ボドリー卿と大学図書館の再建とは? わかりやすく解説

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トーマス・ボドリー卿と大学図書館の再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 03:27 UTC 版)

ボドリアン図書館」の記事における「トーマス・ボドリー卿と大学図書館の再建」の解説

16世紀後半図書館収蔵物減少という事態を迎える (加えて図書館家具売り出されハンフリー公が寄贈した書物はたった3つしか収蔵品中に残っていない) 。この現象1598年終わり図書館は再びその蔵書増やし始める。マートン・カレッジ前代フェローであったトーマス・ボドリー(英語版)が学長図書館拡充援助するよう求め内容の以下のような手紙書いた。「where there hath bin hertofore a publike library in Oxford: which you know is apparent by the rome it self remayning, and by your statute records I will take the charge and cost upon me, to reduce it again to his former use.」。これによりハンフリー公図書館は拡張工事が行われ、ボドリーは蒐集品一部提供した図書館1602年11月8日に“ボドリアン図書館” (公式には「ボドリーの図書館」 - Bodley's Library)と名前を変えて再出発することになった。 ボドリーの蒐集広範囲渡っていた。図書館歴史学者のイアン・フィリップ (Ian Philip) によると、1603年6月頃にボドリーはトルコから写本取り寄せよう試み、それは“最初中国語図書獲得した年と同年であった”。1610年、ボドリーはロンドン書籍出版業組合と書出版業組合登録したすべての書物複製図書館収蔵することで合意したボドリアン図書館収蔵量の増加非常に速く1610年から1612年にかけて建物拡張が行われ (アーツ・エンド - Arts End として知られている) 、1634年から1637年にかけて再度拡張工事が行われた。1654年ジョン・セルデン亡くなる際、自身蒐集した多く書物写本ボドリアン図書館寄贈したハンフリー公図書館の後の拡張部分は現在もセルデン・エンド (Selden End)」として知られている。

※この「トーマス・ボドリー卿と大学図書館の再建」の解説は、「ボドリアン図書館」の解説の一部です。
「トーマス・ボドリー卿と大学図書館の再建」を含む「ボドリアン図書館」の記事については、「ボドリアン図書館」の概要を参照ください。

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