映画化希望とロケ招致活動
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「赤い刺青の男」の記事における「映画化希望とロケ招致活動」の解説
1967年(昭和42年)に公開された日本が舞台の『007は二度死ぬ』へのオマージュがちりばめられた本作であるが、結局、映画化はされなかった。『007ドクター・ノオ』(1962年)から『007 スペクター』(2015年)まで50年以上に渡り24作が製作された007シリーズであるが、イアン・フレミング以外の後継作家による小説が映画化された例は無い。フレミング原作でさえ、当初は原作に比較的忠実に映画化されていたが、次第にタイトルだけ拝借してストーリーは脚本家によって大幅に脚色された内容になっていった。フレミングの主だった作品が映画化されてしまった後は、脚本家が映画向けに創作したオリジナルストーリーが続いていた。 しかしながら、作中に幾つかの観光地が実名で登場する北海道登別市と香川県の映画化実現への熱意は強く、特に物語後半でG8サミット会場として描かれている直島がある香川県は2004年6月、県や映画愛好家らが007を香川に呼ぶ秘密情報部を発足させ、映画化とロケ誘致を目指す署名活動を開始した。当初目標は5万人の署名集めであったが2004年11月18日に達成した。また、独自に署名集めを行った登別市も香川県との共同歩調を取るべく、2万6千人強集まった署名を香川県に預け、両県市の集めた署名の合計が8万4千人を突破、その後も署名は増え続けた。また、誘致活動のPRの一環として、「香川のボンドガール」コンテストの開催、「香川のジェームズ・ボンド」の選出、短編映画「直島より愛をこめて」の製作などを行った。民間のみならず2006年9月には香川県副知事が渡米し、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントを訪れて招致活動を行った。2008年の第34回G8開催国は日本に当たっていたが、同年はちょうどイアン・フレミング生誕100周年でもあり、現実のG8と順当に行けば007第22作が撮影に入っていてもおかしくない2008年にオーバーラップしていた。しかも香川県は岡山県と共同で「瀬戸内サミット」として首脳会議を原作同様直島町の施設で実施するべく誘致活動を行なっていた。しかし、小説のとおりにならず、首脳会議は結局最後に誘致を表明した北海道・洞爺湖に決定された。ちなみに他には兵庫・大阪・京都の3府県と横浜市・新潟市が誘致に名乗りを上げていた。 折りしも、2004年9月13日、007シリーズの制作を手がけるアメリカ合衆国の映画会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」の買収をソニーが発表。同社は1989年にコロムビア映画(現・ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)も買収して傘下に収めており、消費者の買いたがる魅力的なソフトを多数抱えたほうが優位に立てると目される第3世代光ディスク(当時の「次世代DVD」)規格争いにおいて、Blu-ray Disc方式を提唱するソニー・松下陣営の一翼を担うソニーが007シリーズを掌中に収めることにより、また小説『赤い刺青の男』のG8サミット会場に設定されている香川県直島町にあるホテル付きの美術館ベネッセハウスを経営するベネッセコーポレーションの当時の社長森本昌義がソニー出身でソニー・アメリカ現地法人社長の経験もあること、かつてソニーも007映画の制作に乗り出したが当時は映画化権を有していないことを理由に提訴されて敗訴し断念した経緯があることからその時のリベンジを狙うのではないか、との材料から関係者の間では007第22作こそ日本ロケが実現するのではないかとの期待もあった。 松岡圭祐の推理小説『万能鑑定士Qの推理劇 II』で『赤い刺青の男』と直島のロケ招致活動が後半の題材になっており、謎解きに大きく拘わる。また、松岡は直島でのこの騒動の顛末を『ジェームズ・ボンドは来ない』(2014年)でドキュメンタリー風小説として書いている。
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