旧枢軸国の戦争犯罪観とは? わかりやすく解説

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旧枢軸国の戦争犯罪観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:59 UTC 版)

ドイツの歴史認識」の記事における「旧枢軸国の戦争犯罪観」の解説

BRD政府一貫して連合国による戦犯裁判を「法の遡及事後法適用」としてその法的正当性否定しており、1952年9月17日連邦議会にて激しく戦犯裁判非難されその後講和条約結ばれることがなかったため、BRD政府戦犯裁判受け入れなかった。BRD政府連合国が行ったドイツ人戦犯裁判遡及効禁止観点から厳しい批判浴びせていたが、1961年行われたアイヒマン裁判では明らかな法の遡及適用が行われていながらBRD政府黙認しており、戦犯裁判への批判政治的なのであることをうかがわせている。また、ヴァイツゼッカー大統領父親で、開戦時外務次官であったエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーは、先述通りニュルンベルク継続裁判において「侵略戦争指導した」(A級戦犯)として有罪になっているが、ヴァイツゼッカー大統領回想録にて父の罪状を「まったく馬鹿げた非難だった。真実をちょうど裏返しにした奇妙な話である」と全面的に否定し同時に戦犯裁判不当性を訴えている。ヴァイツゼッカー回想録において、父の罪状については「起訴され第一の点」の「侵略戦争指導した」ことのみ言及されているが、実際に人道に対する罪でも起訴されているにもかかわらず、こちらは回想録には一切言及がない。 戦争についても、「ポーランドなどに対して侵略だがソ連に対して自衛」(ドイツ国軍事史研究所編纂した第二次大戦史」第4巻においても同様の主張なされている)、「侵略戦争についてはどこの国もやっていたことであり、ドイツだけがことさら批判される筋合いはない」というものから、中には1992年連邦功労十字勲章授与されたアルフレート・シッケル(所長務めインゴルシュタット現代史研究所税金から公的支援受けている)のように「第二次大戦勃発責任ヒトラーではなくルーズヴェルトにある」と主張する人物もいる。 また、ハンス・グロプケ首相府長官、テーオドーア・オーバーレンダー難民相(この両名DDR政府本人不在のまま行った「裁判」により「有罪」を宣告されたが、BRD政府はこれを無視した)、ハンス=クリストフ・ゼーボーム副首相、ヴォルフガング・フレンケル検事総長など、「ナチス犯罪加担した」と批判され人物幾人も政府首脳官僚の上層部に含まれていた。このためBRD政府本腰を入れて過去追及を行うことはできなかったという見方もある。 さらに、再軍備に伴い戦争犯罪とは無縁であるクリーンな国防軍」というイメージ造られ、軍による虐殺略奪といった一般的な戦争犯罪の追及タブーとなっていった。 戦後半世紀経てBRD国内でも戦争犯罪についての認識改めようとする動き生まれ1995年には「国防軍犯罪展」が開かれたが、これに対して旧国防軍将兵保守層から猛烈な反発起きている。例えヴァイツゼッカー大統領は、保守系キリスト教民主同盟所属であり、「国防軍犯罪展」については所属政党国防軍観にもとづいて厳しい批判行っており、199年11月27日フォークス誌上で、犯罪展について「集団としての罪を主張することは、人道的倫理的、そして宗教的になのです無実についてと同じように、罪はいつも個人的なものです」と評している。また同じくヘルムート・シュミットは、98年12月23日南ドイツ新聞にて「祖国対すある種自己暗示的なマゾヒズム」、98年3月1日のヴェルト・アム・ゾンダーク誌にて「こういう極左意見は、危険なのにもかかわらず禁じられていません」と犯罪展を非難していた。 この辺りは、「戦争犯罪と言えば日本軍戦争犯罪」と直結して語られる日本大きく趣を異としている。これは、日本軍が完全に解体され消滅してしまったのに対し国防軍戦後一時期解体されたもののBRD建国後旧国防軍を含めた過去伝統引き継ぐ形で再軍備が行われた結果旧国防軍将兵配慮する必要があった事に加え戦後旧国防軍の資料多く連合国接収され、その隙間埋める形で旧国防軍高官の手により(その中にはマンシュタインデーニッツなど戦犯として有罪になった者も少なからず含まれる開戦敗戦戦争犯罪責任全てヒトラーナチス帰し、それと同時にドイツ国防軍美化弁護する書籍多数出版された。旧国防軍軍人回顧録ではベストセラーとなったマンシュタインの『失われた勝利』に代表されるように「ヒトラー稚拙な戦争指導無ければドイツ戦争勝利できた」とする立場のものもしばしば見受けられるBRDや旧敵国であるアメリカ合衆国の映画等のフィクション作品において国防軍将校残忍な親衛隊将校異なり騎士道精神溢れ人格高潔な人物として描かれることが多い。以上の事実旧国防軍についてBRD国民肯定的なイメージ与えるのに大きく寄与している。 組織としてBRD国軍であるドイツ連邦軍旧国防軍との間に直接繋がりはないが、各地ドイツ連邦軍記念館には旧国防軍将校も「英雄」として展示され同様にBRD海軍で長らく使用されリュッチェンス級駆逐艦リュッチェンスメルダースロンメル)や多数国防軍施設旧国防軍高級将校の名前が冠されている。

※この「旧枢軸国の戦争犯罪観」の解説は、「ドイツの歴史認識」の解説の一部です。
「旧枢軸国の戦争犯罪観」を含む「ドイツの歴史認識」の記事については、「ドイツの歴史認識」の概要を参照ください。

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