旧枢軸国の戦争犯罪観
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「ドイツの歴史認識」の記事における「旧枢軸国の戦争犯罪観」の解説
BRD政府は一貫して連合国による戦犯裁判を「法の遡及(事後法)適用」としてその法的正当性を否定しており、1952年9月17日連邦議会にて激しく戦犯裁判が非難され、その後も講和条約が結ばれることがなかったため、BRD政府は戦犯裁判を受け入れなかった。BRD政府は連合国が行ったドイツ人戦犯裁判を遡及効禁止の観点から厳しい批判を浴びせていたが、1961年に行われたアイヒマン裁判では明らかな法の遡及適用が行われていながらBRD政府は黙認しており、戦犯裁判への批判が政治的なものであることをうかがわせている。また、ヴァイツゼッカー大統領の父親で、開戦時の外務次官であったエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーは、先述の通りニュルンベルク継続裁判において「侵略戦争を指導した」(A級戦犯)として有罪になっているが、ヴァイツゼッカー大統領は回想録にて父の罪状を「まったく馬鹿げた非難だった。真実をちょうど裏返しにした奇妙な話である」と全面的に否定し、同時に戦犯裁判の不当性を訴えている。ヴァイツゼッカー回想録において、父の罪状については「起訴された第一の点」の「侵略戦争を指導した」ことのみ言及されているが、実際には人道に対する罪でも起訴されているにもかかわらず、こちらは回想録には一切言及がない。 戦争についても、「ポーランドなどに対しては侵略だがソ連に対しては自衛」(ドイツ国立軍事史研究所の編纂した「第二次大戦史」第4巻においても同様の主張がなされている)、「侵略戦争についてはどこの国もやっていたことであり、ドイツだけがことさら批判される筋合いはない」というものから、中には1992年に連邦功労十字勲章を授与されたアルフレート・シッケル(所長を務めるインゴルシュタット現代史研究所は税金から公的支援を受けている)のように「第二次大戦勃発の責任はヒトラーではなく、ルーズヴェルトにある」と主張する人物もいる。 また、ハンス・グロプケ首相府長官、テーオドーア・オーバーレンダー難民相(この両名はDDR政府が本人不在のまま行った「裁判」により「有罪」を宣告されたが、BRD政府はこれを無視した)、ハンス=クリストフ・ゼーボーム副首相、ヴォルフガング・フレンケル検事総長など、「ナチス犯罪に加担した」と批判された人物が幾人も政府首脳や官僚の上層部に含まれていた。このためにBRD政府は本腰を入れて過去の追及を行うことはできなかったという見方もある。 さらに、再軍備に伴い「戦争犯罪とは無縁であるクリーンな国防軍」というイメージが造られ、軍による虐殺や略奪といった一般的な戦争犯罪の追及はタブーとなっていった。 戦後半世紀を経て、BRD国内でも戦争犯罪についての認識を改めようとする動きが生まれ、1995年には「国防軍の犯罪展」が開かれたが、これに対して旧国防軍将兵や保守層から猛烈な反発が起きている。例えばヴァイツゼッカー大統領は、保守系のキリスト教民主同盟所属であり、「国防軍の犯罪展」については所属政党の国防軍観にもとづいて厳しい批判を行っており、199年11月27日『フォークス』誌上で、犯罪展について「集団としての罪を主張することは、人道的、倫理的、そして宗教的に嘘なのです。無実についてと同じように、罪はいつも個人的なものです」と評している。また同じくヘルムート・シュミットは、98年12月23日の南ドイツ新聞にて「祖国に対するある種の自己暗示的なマゾヒズム」、98年3月1日のヴェルト・アム・ゾンダーク誌にて「こういう極左の意見は、危険なのにもかかわらず、禁じられていません」と犯罪展を非難していた。 この辺りは、「戦争犯罪」と言えば「日本軍の戦争犯罪」と直結して語られる日本と大きく趣を異としている。これは、日本軍が完全に解体され、消滅してしまったのに対し、国防軍は戦後の一時期解体されたもののBRD建国後に旧国防軍を含めた過去の伝統を引き継ぐ形で再軍備が行われた結果、旧国防軍将兵に配慮する必要があった事に加え、戦後旧国防軍の資料の多くが連合国に接収され、その隙間を埋める形で旧国防軍高官の手により(その中にはマンシュタインやデーニッツなど戦犯として有罪になった者も少なからず含まれる)開戦・敗戦や戦争犯罪の責任を全てヒトラーとナチスに帰し、それと同時にドイツ国防軍を美化・弁護する書籍が多数出版された。旧国防軍軍人の回顧録ではベストセラーとなったマンシュタインの『失われた勝利』に代表されるように「ヒトラーの稚拙な戦争指導が無ければ、ドイツは戦争に勝利できた」とする立場のものもしばしば見受けられる。BRDや旧敵国であるアメリカ合衆国の映画等のフィクション作品においても国防軍将校は残忍な親衛隊将校と異なり騎士道精神溢れる人格高潔な人物として描かれることが多い。以上の事実は旧国防軍についてBRD国民に肯定的なイメージを与えるのに大きく寄与している。 組織としてBRDの国軍であるドイツ連邦軍と旧国防軍との間に直接の繋がりはないが、各地のドイツ連邦軍の記念館には旧国防軍将校も「英雄」として展示され、同様にBRD海軍で長らく使用されたリュッチェンス級駆逐艦(リュッチェンス、メルダース、ロンメル)や多数の国防軍の施設に旧国防軍高級将校の名前が冠されている。
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