日本初のバレー専門チーム・神戸高商
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「日本のバレーボール」の記事における「日本初のバレー専門チーム・神戸高商」の解説
1919年、第4回極東選手権(上海)に陸上競技と水泳選手で出場した多田徳雄が、1920年神戸高等商業学校(現神戸大学、以下神戸高商)に教師として赴任、学校で最初にバレーボールを取り入れ、バレー専門のチームを結成した。1921年、第5回極東選手権が上海で開催された。第3回大会で大敗したこともあり、一般体育界から顧みられなかったバレーボールは、大日本体育協会内に於いても、日本から代表チームを送るか、選手派遣費用の問題もあり消極的であった。しかしブラウンらの強い働きかけもあり選手派遣に決し、大日本体育協会みずから極東大会派遣チームの予選を行った。関東予選ではバスケットボール選手を中心とした東京YMCAが、東京高師、横浜YMCAを破り、関西予選では多田率いる神戸高商が、大阪YMCAを破り、東京で決勝戦が行われる予定であったが、経費の問題で決勝は中止になり、バスケットボール選手を中心とした東京YMCAが極東選手権に出場した。試合はフィリピン対日本が21-4、21-0でフィリピンが勝利し、中国対日本が21-3、21-0で中国が勝利し、第3回大会から進歩なしという厳しい結果となった。これは東京YMCAの選手はバスケットボールがおもな目的であり、バレーボールはおざなりにされたことと、フィリピンや中国の進歩を研究するだけの基礎もまだ出来ていなかったことが原因であった。第5回大会の戦績ははなはだ貧弱なものであったが、大日本体育協会は競技の価値を認め、日本でこれを奨励しなければ、将来極東大会で永久にフィリピン、中国に勝てないという見地から、本競技を発展させようという声が上がった。こうして大日本体育協会の主催で毎年、日本バレーボール選手権を開催することになった。またこの大会より従来の16人制は競技者が多すぎて興味がないということで12人制を採用することになった。 1923年4月21日〜22日に極東選手権出場予選会兼日本バレーボール選手権が開催され、神戸高商が大連排球団に勝って同年5月に大阪で開催される第6回極東選手権の出場権を獲得した。これが日本最初のバレーボール専門チームとしての出場で、この中にのち大日本排球協会会長となる西川政一、渡辺逸郎、若林昌之助らがいた。しかし結果は不振で、フィリピンに21-2、21-2、中国に21-10、21-1で敗れ関係者を落胆させた。しかし両チームからバレーボール技術の吸収に努め、次第に高度な技術や戦法をマスターしていった。この頃日本のバレーボールは、前衛の選手がジャンプもしないで平凡なボールを相手方に打ち返すのみであったが、上海での第4回極東大会に水泳・陸上の代表として参加していた神戸高商の多田徳雄監督はフィリピン・中国の攻撃法を見て、バレーボールは前衛が高くジャンプし全身の力で打ち込むスマッシング(スパイク)が攻撃の奥義であると認識していた。しかし神戸高商の選手たちにそれを説いても実際に鉄火の洗礼を受けたことのない選手たちにはあまり響かなかった。第6回極東大会で神戸高商の選手たちがその攻撃法を目の当たりにしたことは、その後の日本のバレーボール界に大きな好結果を得る元になった。神戸高商はスパイクの他、指を使ったパスを自チームに取り入れる等、バレーボール技術の吸収に努め、次第に高度な技術や戦法をマスターしていった。神戸高商は国内では無敵で1920年〜1932年と呉水雷倶楽部に敗れるまで黄金時代を続けて、第6回からの極東選手権はほとんど神戸高商の選手で占められた。一部のYMCAを除いては全国に普及しなかったバレーボールを、広く日本国内に普及する切っ掛けを作ったのは神戸高商であり、日本のバレーボール(9人制)の普及発展に尽くした神戸高商の存在は大きい。神戸高商は全国中等排球選手権大会を主催し、出場した選手が後年、各地の指導者に成長したのを始め、名古屋の八高や地方の専門学校なども中学大会をもつようになった。中学校のレベルは一躍向上してこの中から坂上光男や長崎重芳など、のちの全日本選手が数多く生まれた。極東選手権はブラウンの主張通り16人制でスタートしたが、アメリカでのルールは「人数は、コートの大きさが決定された後、双方のマネージャーによって決定する」という条項を生かして、第5、6、7回大会は12人制で行い、第8回大会から日本の発言で9人制を実行、ここに極東の地域独特の9人制バレーボールがスタートした。また第7回大会から20点で同点の場合、ジュース制が採用された。
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