日本カーリットとは? わかりやすく解説

カーリット (企業)

(日本カーリット から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 08:38 UTC 版)

株式会社カーリット
Carlit Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 4275
2013年10月1日上場
本社所在地 日本
104-0031
東京都中央区京橋一丁目17番10号
設立 2013年10月1日
業種 化学
法人番号 6010001156165
事業内容 化学品、ボトリング、産業用部材、エンジニアリングサービス事業を行う子会社等の経営管理およびそれに附帯または関連する業務
代表者 金子洋文(代表取締役社長)
資本金 20億9,953万円
発行済株式総数 2,405万株
売上高 連結:497億4,500万円
(2020年3月31日現在)
経常利益 連結:17億3,200万円
(2020年3月31日現在)
純利益 連結:6億9,000万円
(2020年3月31日現在)
純資産 連結:262億900万円
(2020年3月31日現在)
総資産 連結:489億2,400万円
(2020年3月31日現在)
従業員数 連結:1,095人,単体:87人
(2020年3月31日現在)
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人
主要株主 みずほ信託退職給付信託丸紅口再信託受託者資産管理サー ビス信託銀行株式会社(8.3%)
(2020年3月31日)
主要子会社 日本カーリット株式会社
三協実業株式会社
ジェーシーボトリング株式会社
株式会社シリコンテクノロジー
並田機工株式会社
東洋発條工業株式会社
富士商事株式会社
株式会社総合設計
外部リンク http://www.carlithd.co.jp/
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株式会社カーリット(英語表記 Carlit Co., Ltd.)は、日本カーリット株式会社などを傘下に持つ持株会社。旧社名はカーリットホールディングス株式会社

東京証券取引所プライム市場に上場しており、証券コードは4275。

2013年以降は研究体制を日本カーリット株式会社からカーリットホールディングス株式会社へ移している。

カーリットホールディングスは「化学品事業」「ボトリング事業」「産業用部材事業」「エンジニアリングサービス事業」の4つの事業部門を展開している。

概要

化学品事業

化薬分野においては、産業用爆薬、自動車用緊急保安炎筒、高速道路用信号焔管の製造・販売。煙火関連の製造・販売。

受託評価分野においては、危険性評価試験、電池試験の受託評価。

化成品分野においては、紙パルプ漂白用塩素酸ナトリウム、繊維漂白用亜塩素酸ナトリウム、ロケットの固体推進薬原料用過塩素酸アンモニウム等の製造・販売。

電子材料分野においては、コンデンサ・キャパシタ用電解液、イオン導電材料等の製造・販売。

セラミック材料分野においては、研削材、研磨材の加工・販売。

その他合成樹脂材料の販売を行っている。

ボトリング事業

お茶やコーヒー系飲料の受託製造を行っている。

産業用部材事業

半導体用シリコンウェーハ、耐火・耐熱金物、ばね・座金製品の製造・販売を行っている。

エンジニアリングサービス事業

化学・プラント設備・建築物等のエンジニアリング・工事管理、工業用塗料販売・塗装工事、上下水道・排水処理施設・建築の設計・監理を行っている。

沿革

  • 浅野総一郎
    1918年 浅野財閥浅野総一郎カーリット爆薬(スウェーデン・カーリット社からライセンス供与)の製造に着手
  • 1919年(大正8年) - 横浜市保土ケ谷区仏向町に保土ヶ谷工場を建設
  • 1928年昭和3年) - 佐久発電所(現・東京電力佐久発電所)を建設
  • 1934年(昭和9年)- 浅野カーリット株式会社を創立。資本金は150万円。群馬県渋川市に工場建設。
  • 1939年(昭和14年)- 研削材「サクランダム」の製造・販売開始
  • 1945年(昭和20年) - 社名を関東電気工業株式会社へ改称
  • 1946年(昭和21年) - 発炎筒の製造・販売開始
  • 1949年(昭和24年) - 東京証券取引所に上場
  • 1951年(昭和26年) - 社名を日本カーリット株式会社へと改称
  • 1953年(昭和28年) - 繊維用漂白剤「シルブライト」の製造・販売開始
  • 1954年(昭和29年) - 広桃水力発電所を建設
  • 1955年(昭和30年)8月2日 - 保土ケ谷工場で爆発事故。従業員ら21人が死亡、19人が重軽傷。工場10数棟が損壊。さらに同工場では1958年1月14日にも、2人死亡、15人が重軽傷を負う爆発事故が発生した[1]
  • 1962年(昭和37年) - 「硝安油剤爆薬」の製造・販売開始
  • 1964年(昭和39年) - ロケットの固体推進薬原料としての「過塩素酸アンモニウム」の製造・販売開始
  • 1966年(昭和41年) - 緊急保安炎筒 「ハイフレヤー」の製造・販売開始
  • 1971年(昭和46年) - 高速道路用信号焔管「ロードフレヤー」の製造・販売開始
  • 1975年(昭和50年) - 次亜塩素酸ソーダ電解発生装置「ハイポセル」の製造・販売開始
  • 1983年(昭和58年) - 金属電極「エクセロード」の製造・販売開始
  • 1985年(昭和60年) - 有機導電材「TCNQ錯体」の製造・販売開始
  • 1990年平成2年) - 導電性高分子の世界初の実用化に成功し、電気化学会技術賞・棚橋賞を受賞
  • 1991年(平成3年)- ジェーシービバレッジ株式会社を設立し、ボトリング事業を開始
  • 1994年(平成6年) - 株式会社シリコンテクノロジーを設立し、半導体用のシリコンウェーハの製造・販売を行う
  • 1995年(平成7年) - 保土ヶ谷工場から群馬県赤城工場へ移転
  • 1999年(平成11年) - ISO9001認証取得
  • 2001年(平成13年) - ISO14001認証取得
  • 2007年(平成19年) - 電離圏の観測を 目的とした「LES」(リチウムガス噴出装置) の実験を開始
  • 2010年(平成22年) - ジェーシービバレッジ改めジェーシーボトリング株式会社を設立。佳里多(上海)貿易有限公司を設立。
  • 2012年(平成24年) - 工業用塗料、塗装設備販売を行う富士商事株式会社、耐火耐熱金物の製造・販売を行う並田機工株式会社へ資本参加
  • 2013年(平成25年)
    • 9月 - 本社を東京都千代田区神田和泉町から現在地に移転
    • 10月1日 - 単独株式移転により、持株会社としてカーリットホールディングス株式会社を設立。日本カーリット株式会社は同社の完全子会社となる。上下水道・排水処理施設等の設計を行う株式会社総合設計へ資本参加。日本カーリット群馬工場に電池試験所を設立。
  • 2014年(平成26年) - 自動車及び建設機械向け各種スプリングの製造・販売を行う東洋発條工業株式会社へ資本参加
  • 2015年(平成27年) - 合成樹脂原料の販売を行う三協実業株式会社へ資本参加
  • 2018年(平成30年) - 創業100周年を迎える
  • 2024年(令和6年)
    • 7月1日 - カーリットホールディングスの商号を株式会社カーリットに変更[2]
    • 10月1日 - 株式会社カーリットが日本カーリット株式会社と株式会社シリコンテクノロジーを吸収合併する予定[2]

関連会社

  • 日本カーリット株式会社
  • 三協実業株式会社
  • 佳里多(上海)貿易有限公司
  • Carlit Singapore Pte.Ltd.
  • ジェーシーボトリング株式会社
  • 株式会社シリコンテクノロジー
  • 並田機工株式会社
  • 株式会社西山フィルター
  • アジア技研株式会社
  • 東洋発條工業株式会社
  • カーリット産業株式会社
  • 富士商事株式会社
  • 株式会社総合設計
  • 株式会社エスディーネットワーク

脚注

  1. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、108,126頁。ISBN 9784816922749 
  2. ^ a b 完全子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)ならびに商号等変更のための定款一部変更に関するお知らせカーリットホールディングス 2023年11月28日

外部リンク


日本カーリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 07:57 UTC 版)

近藤会次郎」の記事における「日本カーリット」の解説

セメント原料石灰採取するのにダイナマイト用いていたが、第一次世界大戦ヨーロッパからの火薬輸入途絶えたので、浅野総一郎今泉嘉一郎相談してカーリット爆薬製造決心し1916年大正5年9月近藤会次郎野原彝夫をスウェーデンストックホルム派遣した二人はアクチボラーゲット・カーリット会社訪問し駐在武官協力カーリット爆薬調査研究して有効性確認してから、東洋での製造販売取得した野原製造方法習得する為に現地残り近藤先に帰国した1917年大正6年12月野原帰国すると、近藤カーリット製造工場建設計画をつくり浅野同族製薬部長就任した1919年大正8年6月には南千住過塩素酸アンモニア製造工場が、12月には保土ケ谷カーリット調合工場稼動始めた1920年大正9年)に浅野同族製薬部が日本カーリット会社になると、野原社長に就任した近藤1919年大正8年5月病気療養始め翌年7月5日転地療養先の鎌倉に於いて胃がん死去享年53数え年55)、雑司が谷墓地葬られた。

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