日本における戦争遺跡としての事例とは? わかりやすく解説

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日本における戦争遺跡としての事例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 06:10 UTC 版)

掩体壕」の記事における「日本における戦争遺跡としての事例」の解説

日本軍第二次世界大戦中構築した掩体壕一部残されている。これは、コンクリート製大型構造物であり、取り壊しが困難であったために残されたものである。近年では戦争遺跡として保存措置講じられているものもある。 栃木県宇都宮市栃木県農業大学校敷地内陸軍宇都宮飛行場のものが2基。同じく栃木県大田原市ゴルフ場那須野ヶ原CC内に金丸飛行場のものが1基残る。 1939年昭和14年)に開設され調布飛行場東京)の周辺に現在も遺構的に残存しており、飛行場隣接する武蔵野の森公園ではフェンス越し見学が可能。また、府中市白糸台掩体壕整備されており、フェンス越し見学が可能。府中市指定文化財史跡)に指定千葉県茂原市には現在も10基の掩体壕残っており、そのうち最大大きさを持つ1基は茂原市文化財指定千葉県館山市には海上自衛隊館山航空基地近傍日本海軍洲ノ崎航空隊掩体壕が1基ある。また、その近隣零戦試験射撃場跡があり、7.7mm機関銃弾の弾痕残されている。 千葉県柏市には陸軍飛行場跡の東側誘導路沿って、6基の無蓋掩体壕現存することが確認され市民団体柏市長などに調査保存のための要望書2009年10月5日提出した千葉県印西市には印旛陸軍飛行場関連無蓋掩体壕が、1982年時点36残っていたが、2009年時点では1基がほぼ完全に残っているのが確認されているのみ。 千葉県海軍香取航空基地跡地北西付近北側田圃内(匝瑳市春海)に航空機用有蓋掩体壕が2基、同南東角の東側鎌数伊勢大神宮旭市鎌数)の駐車場脇に大型機用有蓋掩体壕がある(いずれも個人所有地内)。 茨城県筑西市の旧下館飛行場南西付近には、無蓋掩体壕3基と(北側土盛り残っている)半壊した1基が残存している。 神奈川県横浜市金沢区所在する野島には、1945年昭和20年)に旧日本海軍建設した野島掩体壕」が存在する横須賀海軍航空隊基地航空機群を退避させるために造られたもので、野島山の山体貫通し入口の幅約20 m、高さ約7 m、全長260 mを測り、現存する遺構としては日本最大級とされる岐阜県各務原市航空自衛隊岐阜基地近くの前度地区不動山には、岩盤くりぬいて作られたものがある。その周辺にも2基残っている。 高知空港近く南国市に7基残されているという。南国市文化財指定し掩体壕について説明する看板設置愛媛県松山空港近傍には3基残されている。 福岡県行橋市稲童には、市指定文化財史跡となった稲童1号掩体壕」がある。築城海軍航空隊基地昭和19年1944年8月建設され鉄筋コンクリート造有蓋掩体壕で、入口は幅26.8m・高さ5.5m、奥行きは23.5mを測る。 旧熊本空港近傍には数基残されている。 大分県宇佐市にはかつて宇佐海軍航空隊があり、そのうち一つ宇佐市によって保存整備されている。 宮崎県宮崎空港滑走路西側戦闘機用の掩体壕が、また、宮崎空港南西宮崎南バイパスから本郷中学校付近に爆撃機用の掩体壕それぞれ複数残されている。 鹿児島県鹿屋航空基地内にも掩体壕残されている。この壕は現在使用されていない鹿児島県出水市出水海軍航空隊跡に掩体壕が3基残っている。 喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)中里第二次世界大戦海軍特攻隊中継基地整備使われていた1基が残っている。 韓国・済州島南西部の大静洞には、日本海軍日中戦争当時建設した飛行場の跡に掩体壕が約20残っている。済州特別自治道によって文化財指定される予定である。 大阪府八尾市八尾空港東方の畑の中に1基残っており、農機具などの倉庫として活用されている。 滋賀県東近江市には、かつて陸軍八日市飛行場があり、2000-01年の調査によると飛行場周辺にはコンクリート製有蓋掩体壕が2基、無蓋掩体壕10基、合計12基の現存確認されている。 台湾宜蘭県員山にある員山機堡 (員山神風特攻隊基地)には3基残っている。そのうち1基は、員山旅遊服務中心として利用されており、当時写真など資料展示されている。 その他にも、倉庫として使用されている例があり、例えば、米子空港航空自衛隊美保基地構内とその近傍には数基残っているが、一部地元農家農機具肥料倉庫として活用している。 愛媛県松山空港近く日本軍掩体壕周囲には民家建ち並ぶ 南国市郊外掩体壕 南国市郊外掩体壕ゴミ捨て場物置成り果てている 米子空港近く掩体壕倉庫として利用されている

※この「日本における戦争遺跡としての事例」の解説は、「掩体壕」の解説の一部です。
「日本における戦争遺跡としての事例」を含む「掩体壕」の記事については、「掩体壕」の概要を参照ください。

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