日本における戦争遺跡とは? わかりやすく解説

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日本における戦争遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 03:20 UTC 版)

戦争遺跡」の記事における「日本における戦争遺跡」の解説

日本には全国におよそ2万から3か所の戦争遺跡があるといわれ、1980年代半ば頃から、戦争体験伝え一環として各地戦争遺跡調査記録保存運動などが行われてきており、1987年戦争体験記録する会『大阪戦争遺跡ガイドブック』も刊行されている。区分としては「役所学校などの自治体施設研究施設軍隊駐屯地演習場跡」・「要塞飛行場砲台などの戦闘施設設備跡」・「軍需工場軍事物資貯蔵施設跡」・「鉄道・道路港湾などの公共交通流通のための人工構造物跡」・「病院保養所捕虜収容のための施設跡」・「陸海軍埋葬地墓地」・「防空壕跡慰霊碑」・「戦跡空襲被害地や場所」などがある。 自治体による文化財指定最古1977年沖縄県伊江島公益質屋戦争被災)の指定である。戦争使われ遺跡という類では南風原町沖縄陸軍病院南風原壕群20号1990年平成2年)に全国初めての自治体指定文化財となった太平洋戦争に関する指定史跡少ない。 戦争遺跡文化財指定多く受ける流れ変化したのは、戦後50年経た1995年だったという。戦争体験者が減り戦争記憶語り継ぐ語り部が「ひと」から「もの」へと移行する中で、戦争遺跡保存活用流れ強まった。また戦争遺跡都市開発などによって消滅するスピードが速まり、歴史証人ある戦争遺跡失えば、平和の価値未来へ指針もわからなくなるという危機感から、「戦争遺跡ネットワーク」が結成されるなどの動き生じ文化財指定広がった指定受けたものには、第二次世界大戦期のものが多いが、西南戦争戦跡なども含まれる近年では保存措置講じられたり、文化財として指定される事例出ている。しかしながら、その価値十分に理解されているとは言えず、特に近世建築遺構戦争遺跡かち合う場合戦争遺跡調査保存軽視されがちなのも事実である。1995年原爆ドームが国の史跡指定され世界遺産にもなっている。軍事遺構としては初め東京湾要塞跡(明治時代)が2015年に国の史跡指定されている。 しかし一方で毎日新聞社2019年10月から11月にかけて日本全都道府県対しアンケート調査実施したところ、自治体内の全ての戦争遺跡所在地概要把握する全数調査実施したのが6つの県にとどまることが明らかになり、日本において戦争体験風化が進む中、自治体戦争遺跡保護及び腰になっていることと、戦争遺跡全体像把握進んでいない現状浮き彫りとなっている。

※この「日本における戦争遺跡」の解説は、「戦争遺跡」の解説の一部です。
「日本における戦争遺跡」を含む「戦争遺跡」の記事については、「戦争遺跡」の概要を参照ください。

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