政友会へ入党とは? わかりやすく解説

政友会へ入党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:56 UTC 版)

床次竹二郎」の記事における「政友会へ入党」の解説

床次は代議士となることを念頭に大正2年1913年12月政友会入党した同時期に入党した官僚多く水野錬太郎(前内相浪人中)・橋本圭三郎商務次官犬塚勝太郎逓信次官岡喜七郎警保局長・小山温司法次官などが挙げられる大正3年1914年)、山本内閣総辞職受けて鉄道院総裁辞任。なお同年には山本権兵衛から貴族院勅選議員になることを勧められた。当時勅選議員終身制であり、一生涯通じて政治家としての安定した地位得られる為、当時官僚にとって羨望の的であったが、政党政治将来性見出していた床次は原の勧めもあってこれを断った地元伊地知峻の誘い郷里鹿児島県から衆議院議員補欠選挙長谷場純孝急死による補選)に立候補し初当選する。以後、殆どお国入りすることなく昭和7年1932年)の総選挙まで連続8期当選をした。初当選翌年1915年3月)には第12回衆議院議員総選挙が行われ、立憲政友会184議席から104議席激減させる逆境であったが、床次は首位当選果たした政友会では領袖クラス大岡育造奥繁三郎伊藤大八松田源治粕谷義三などが落選し当選した床次は元田肇岡崎邦輔村野常右衛門と共に政友会院内総務就任した5月衆議院本会議第2次大隈内閣加藤高明外相質問する形で初演説を行った新聞に「無用な活気には乏しいが、荘重の弁は、外交質問としては、上品な所を見せた」と評された。 大正7年1918年9月原内閣成立する内務大臣(兼鉄道院総裁)に就任したが、この人事は反発恐れて直前まで秘密にされていた。1919年11月博徒右翼団体である大日本国会の結成世話役として関わる内相としては長年懸案であった郡制廃止選挙法改正による選挙権拡張与党に有利とされる小選挙区制導入実現した。また内務省内に社会局新設して生活保護失業救済管轄させ、後に労働問題取り扱うなど国民の権利要望対応する社会政策取り組んだストライキについても原則的に干渉しない姿勢をとった。他にも、同年12月半官半民協調会設立して労働者対策とした。この姿勢山縣有朋の不満を買うことになり、内田康哉外相中橋徳五郎文相とともに山縣非難され、のちには更迭まで求められるうになる鉄道院総裁としては幹線改良優先する改主建従政策から新線建設優先する建主改従政策転換して政友会への支持図ったまた、この原内閣期には原より命じられ貴族院最大会派であった研究会初めとする貴族院勢力との関係を築き研究会山県閥から引き離し政友会近づける工作成功させた。 原内閣における床次の活躍キャリア官僚から政治家への転身流れ加速させ、それ以前キャリア官僚出身議員当選一桁台だったのに対し大正14年1920年3月)の第14回衆議院議員総選挙では20人に増大清浦内閣期の第15回衆議院議員総選挙一時減退するものの、以後犬養内閣期まで40人前後の当選者が出ることとなった。これは明治初期立身出世早道キャリア官僚にあったのに対し政党内閣期にはこれが代議士変化した認識されたためである。また、原内閣期の鹿児島は床次配下議員占められたため「床次王国」と呼ばれた。この時期山縣閥は次第に力を失い、薩派が間を縫って力をつけていく。床次は鹿児島出身であり、松方正義牧野伸顕宮中に、山本権兵衛海軍に、という図式である。また、宮中某重大事件に際しては、皇太子婚約変更反対動き行っている。これは、自身引き立てた原の意図反しているが、島津家意向受けたものであった。床次は治安維持責任者ありながら右翼山縣暗殺計画しているという話に対しても「山縣身辺保障難しい」と原に申し入れる有様であった

※この「政友会へ入党」の解説は、「床次竹二郎」の解説の一部です。
「政友会へ入党」を含む「床次竹二郎」の記事については、「床次竹二郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「政友会へ入党」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「政友会へ入党」の関連用語

政友会へ入党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



政友会へ入党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの床次竹二郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS