損害と海戦の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 09:28 UTC 版)
日本海軍の損害 沈没:新月、長月 中破:天霧、初雪、谷風 小破:涼風、望月、皐月 秋山少将以下、第三水雷戦隊司令部全滅 :陸軍兵1600名、物件90トン揚陸 アメリカ海軍の損害 沈没:ヘレナ 軍令部総長は昭和天皇に対し、一連の輸送と戦闘を以下のように報告した。 一六〇〇、軍令部総長、戦況〔奏上〕。 昨夜、「コロンバンガラ」に増援部隊、輸送。第一次d×4 成功、第二次 d×4(内d×2は敵部隊と交戦、揚陸せず、d×2は今朝揚陸中)、支援部隊d×3 敵C、dの部隊と夜戦、C×1撃沈、C×1炎上、我方「新月」〔駆逐艦〕消息不明。 — 昭和18年7月六日 火曜日、城英一郎著/野村実編『城英一郎日記』295頁 駆逐艦谷風戦闘詳報では、アメリカ軍のレーダーの脅威を訴え、またアメリカ軍巡洋艦の装備と能力を正当に評価。「肉薄しないのは精神力の不足」と批判せぬよう指摘している。本来の目的であるコロンバンガラ島への輸送は、半数前後に相当する陸兵1,600名と物資90トンを揚陸するも、海戦の影響で全ての陸揚げには成功しなかった。戦局の重大さを考慮し、南東方面部隊指揮官草鹿任一海軍中将(南東方面艦隊司令長官兼第十一航空艦隊司令長官)は、6日0900に将旗をブーゲンビル島ブインの戦闘司令所に掲げた(8月3日、南東方面艦隊はラバウルに復帰)。第八艦隊司令部(外南洋部隊)もラバウルからブインへ移動し、第一根拠地隊司令部の指揮所から指揮をとった。他方、第八艦隊(鳥海)のレンドバ攻撃は延期され、鳥海はクラ湾夜戦の損傷艦と共にラバウルに回航された。 また、クラ湾夜戦において司令官戦死・司令部全滅に到った第三水雷戦隊の後任司令官として、7月7日付で伊集院松治大佐(当時、戦艦金剛艦長)が発令され、伊集院は7月10日に着任した。伊集院と伊崎少将が任命されるまで、有賀幸作大佐(重巡鳥海艦長)が増援部隊指揮官(第三水雷戦隊司令官)の職務を代行した。前述のように「鳥海」をラバウルに戻したので、ブイン所在の第八艦隊司令長官鮫島具重中将(外南洋部隊指揮官)は陽炎型駆逐艦雪風(第16駆逐隊)を臨時の第八艦隊旗艦とした。 連合軍がニュージョージア島の各所に上陸したことで、戦闘の焦点はレンドバ島からニュージョージア島本島にうつった。ムンダ方面の戦闘は依然として厳しい状況であり、ニュージョージア島にコロンバンガラ島の一部兵力を移すこととなった。この事により、その分だけコ島の防備に穴が開くこととなるため、後詰め兵力を送り込む必要性が出てきた。そこで、7月9日にコロンバンガラ島への緊急輸送が行われた。7月12日にも第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将の指揮下で輸送作戦が行われるが、同日夜にクラ湾夜戦に似たような経過でコロンバンガラ島沖海戦が発生した。 エインスワース少将はハルゼー大将へ「7隻の日本軍艦を仕留めた」と報告し、ハルゼー大将はこれに対し賞賛の返答を行った。戦死者や負傷者に火傷の者が多かったので、以後暑い気候の海域でも、基本的に肌の露出が少ない服装を着用することが義務付けられた。クラ湾夜戦から一週間後の7月12日、沿岸監視員が「東京急行」の通過を通報してきた。ハルゼー大将はエインスワース少将に再度の出撃を命じ、沈没したヘレナに代わってニュージーランド海軍の軽巡洋艦リアンダー を編入した第36.1任務群はコロンバンガラ島近海へ出撃し、コロンバンガラ島沖海戦が発生した。軽巡神通沈没(第二水雷戦隊司令部全滅)と引き換えに、大きな損害を出すことになった。 詳細は「コロンバンガラ島沖海戦」を参照
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