損害の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 18:11 UTC 版)
不法行為責任は損害賠償責任を内容とするものである以上、不法行為が成立するには損害の発生が要件となる。損害の発生については原告側に立証責任がある。 何をもって損害が発生したと見るかについては争いがあり、大きく分けて差額説と損害事実説の2つの立場がある。前者は「仮に加害行為がなかった場合の被害者の財産状態(α)」を想定した上で「現在の被害者の財産状態(β)」との差額(α−β)を「損害」と捉えるのに対し、後者は発生した事実そのもの(たとえば、被害者の死亡の事実そのもの)を「損害」と捉える点に違いがある。 差額説は要するに損害を金額で捉えようとする立場であるが、これは不法行為責任が金銭による損害賠償を中心とする点からすれば極めて素直な立場であるし(加害者にいくら賠償させるかは、被害者が加害行為のせいでどれだけ余計な出費をさせられたかによって決めるのが素直であろう)、すべてを金額に置き直す点で明確に損害を確定できそうに思われる。 しかし、精神的苦痛など必ずしも金額的損害があるとはいいにくい場合でも、これに対する賠償(慰謝料請求)を認めるのが一般的見解であるが、差額説によると、必ずしもその理論的根拠が明らかでない。また、被害者が死亡した場合には将来の給与収入等(α)も損害の一項目として計算される(α−β;本来αの収入があったはずなのに、それが加害行為によってβに減ったから。逸失利益と呼ばれる)。しかし、将来の収入等(α)はあくまで仮定的な財産状態に過ぎないため、差額説によった場合、どこまでが加害行為に起因する逸失利益なのか、加害行為と損害との間の因果関係の画定が容易ではない。 こうした難点を克服すべく、損害事実説、すなわち、発生した事実そのものを「損害」と捉えるべきであるという説が出てきた。この立場によれば、精神的苦痛を「損害」とすることは無理なく理解できる。また、逸失利益の計算も、損害(たとえば、被害者の死亡の事実)の金銭評価にすぎないこととなるため、差額説で問題となった加害行為と逸失利益との間の因果関係の存否も理論上は問題とする必要がなくなる。 もっとも、この立場によっても、不法行為責任が金銭による損害賠償を中心とする以上、賠償額を決定する上で損害額がいくらか決定せざるを得ず、損害を金銭に評価しなおすことは避けて通れない。そうすると、具体的金額を算出するためには、結局のところ差額説に立った場合と同様、どこまでを逸失利益と評価すべきか画定せざるを得ず、損害事実説が差額説に対する批判を十分に克服できているかどうかは疑問が残る。 以上の2説のうち、差額説が伝統的な理解であり、裁判例も基本的にはこの立場を採っているとされる。 ただ、裁判所では、裁判ごとに認定額にばらつきが生じるのを防ぐべく、事案に応じた相場表のようなものを用意している。そして、損害額の認定においては、同表を参考にしたうえで、慰謝料等の損害項目を用いて金額調整が図られているようである。この点からすると、実際の裁判実務は損害事実説に近い運用がなされているといえるかもしれない。
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