戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式
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「ダグラス・マッカーサー」の記事における「戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式」の解説
日本の降伏の受け入れ方として、連合軍内でも様々な意見がありイギリスのルイス・マウントバッテン伯爵は、昭和天皇がマニラまで来てマッカーサーに降伏すべきと考えていたが、マッカーサーはそのような相手に屈辱を与えるやり方はもはや時代遅れであり、日本人を敗戦に向き合わせるために、威厳に溢れた戦争終結の儀式が必要と考えた。かつて、元部下のアイゼンハワーがドイツの降伏を受け入れるとき、ドイツではなくフランスの地で、報道関係者が誰もいない早朝に、ドイツの将軍らに降伏文書に調印させたが、マッカーサーはそれを全くの間違いと考えて、東京の地で世界のメディアが注目するなかで降伏調印式をおこなうこととした。 降伏調印式は、9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で行われることとなった。日本側全権・重光葵(日本政府)、梅津美治郎(大本営)ら11名の日本代表団はマッカーサーの待つミズーリに、駆逐艦ランズダウン(英語版)に乗ってやってきた。ミズーリにはイギリスやアメリカ、中華民国やオーストラリアなどの連合国代表のほかに、太平洋戦争初期に日本軍の捕虜となって終戦後に解放された、マッカーサーの元部下のウェインライト中将とイギリス軍のアーサー・パーシバル中将も列席し、ミズーリの艦橋にはマシュー・ペリー提督が日本に開国を要求するため日本に来航した際に、ペリーが座乗した旗艦である外輪式フリゲート艦サスケハナに掲げられていた星条旗が掲げられていた。 厚木に到着した日は短かめの声明を記者団に述べただけのマッカーサーであったが、この日は、降伏文書署名前に長い演説を行った。 われら主要参戦国の代表はここに集まり、平和恢復の尊厳なる条約を結ばんとしている。相異なる理論とイデオロギーを主題とする戦争は世界の戦場において解決され、もはや論争の対象とならなくなった。また地球上の大多数の国民を代表して集まったわれらは、もはや不信と悪意と憎悪の精神に懐いて会合しているわけではない。否、ここに正式にとりあげんとする諸事業に全人民残らず動員して、われらが果さんとしている神聖な目的に叶うところのいっそう高い威厳のために起ち上がらしめることは、勝者敗者双方に課せられた責務である。人間の尊厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは予の希望するところであり、また全人類の願いである。英文;We are gathered here, representatives of the major warring powers, to conclude a solemn agreement whereby peace may be restored. The issues involving divergent ideals and ideologies have been determined on the battlefields of the world, and hence are not for our discussion or debate. Nor is it for us here to meet, representing as we do a majority of the peoples of the earth, in a spirit of distrust, malice, or hatred. But rather it is for us, both victors and vanquished, to rise to that higher dignity which alone befits the sacred purposes we are about to serve, committing all of our peoples unreservedly to faithful compliance with the undertakings they are here formally to assume. It is my earnest hope, and indeed the hope of all mankind, that from this solemn occasion a better world shall emerge out of the blood and carnage of the past -- a world founded upon faith and understanding, a world dedicated to the dignity of man and the fulfillment of his most cherished wish for freedom, tolerance, and justice. 演説が終わったあと、9時8分にマッカーサーが降伏文書に署名、マッカーサーはこの署名のために5本の万年筆を準備しており、それを全部使って自分の名前をサインした。それらは、ウエインライト、パーシバル、ウェストポイント陸軍士官学校、アナポリス海軍兵学校にそれぞれ贈られる予定となっていたが、残る1本のパーカーのデュオフォールド「ビッグレッド」は妻ジーンへの贈り物であった。その後に日本全権重光が署名しようとしたが、テロにより片足を失っていた重光がもたついたため、見かねたマッカーサーがサザーランドに命じて署名箇所を示させた、その後に梅津、他国の代表が署名を行い、全員が署名し終わったときにマッカーサーは「いまや世界に平和が回復し、神がつねにそれを守ってくださるよう祈ろう。式は終了した。」と宣言した。宣言と同時に1,000機を超す飛行機の轟音が空に鳴り響き、歴史的式典の幕を閉じた。 皇居では昭和天皇が首を長くして降伏調印の報告を待っていたが、重光は参内すると、同行した外務省職員加瀬俊一の作成した報告書を朗読し「仮にわれわれが勝利者であったとしたら、これほどの寛大さで敗者を包容することができただろうか」という報告書の問いに対して昭和天皇は嘆息してうなずくだけであった。加瀬はこのときの昭和天皇の思いを「マッカーサー元帥の高潔なステーツマンシップ、深い人間愛、そして遠大な視野を讃えた加瀬の報告書に昭和天皇は同意した」とマッカーサー司令部に報告している。
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